茨城弁の決め台詞で、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』でインパクトを残したお笑い芸人の赤プルさん(47)。お笑いの世界へ導き背中を押してくれたのは、イベントコンパニオン時代に出会った「いつもここから」の山田一成さんのひと言だったそうです。(全3回中の2回)

DV彼氏から監禁されるも家族に助けられ…人生を考えた

── 高校を卒業して働き始めたスナックのお客さんに「話がおもしろいね」と褒められたそうですね。そこから、お笑い芸人を目指すようになったのですか?

 

赤プル
特攻服が板についていた学生時代

赤プルさん:いえ、全然。「私っておもしろいんだ!」という自意識は出てきたのですが、まだまだ芸能界に挑戦しようなんて思えませんでした。それに当時は、つき合っていた彼氏のDVのせいで生きるのが精一杯で…それどころじゃなかったんです。

 

その彼は地元の先輩で、外では寡黙で素敵な人だったのですが、家に帰ると豹変するタイプでした。私、高校生のころから、ちょっとやんちゃな男性を好きになることが多かったんですよね…(苦笑)。いわゆる「だめんず」との恋愛を繰り返していたんですが、その人とのおつき合いが始まり、同棲していた時期は本当に地獄でした。

 

── そんなことが…。どんな状況に陥ってしまったのでしょうか。

 

赤プルさん:DVがエスカレートして監禁状態になり、実家に帰ることもできずにいて。彼とのつき合いは1年ほどでしたが、人生詰んだなと思うようなつらい日々でした。結局、家族の助けもあり、命からがら実家に戻ることができました。それまで祖母と母はあまり仲がよくなかったけれど、私を救うために協力してくれて。

 

── 家族が味方になってくれたのですね。

 

赤プルさん:はい、本当にありがたかったです。でも、その彼氏から借金を背負わされて。クレジットカードを限度額いっぱいまで使われて、トータルで300万円くらいあったんです。これを返すためにも、自分の生き方を改めなければいけないって痛感しました。

 

── 若くして借金を背負うとは…大変でしたね。

 

赤プルさん:借金返済のために遊技場のスタッフとして働いていたのですが、バイト仲間から「ほかにやりたいことがあるんじゃないの?」って聞かれたことがあったんです。私は素直に「東京に行ってやってみたいことがある。でも人に言えないままここまで来たからあきらめるんだ」って答えました。当時は、芸能界になんとなく憧れを抱いていたことを人に言えないまま過ごしていたんです。そうしたらその人が「なんでここであきらめちゃうの?あきらめるのは早いよ」って言ってくれて。その言葉に背中を押されて24歳で上京し、イベントコンパニオンの仕事を始めました。実際のところは「夢を見つけるために東京に行く」という感じで。あわよくば芸能界に挑戦したい、チャンスを見つけに行きたい、みたいな気持ちでした。