「ラララライ体操」が生んだこと

── ライバルとしては、かなりバチバチに競い合ってきた感じですか?
田崎さん:賞レースでは、だいたいかまいたちが優勝することが多かったです。誰かが優勝すると、主催者が「全員で打ち上げ行きましょう!」と言ってくれるんですが、負けた側としては、「なんで行かなあかんねん…」と思うことも正直あって。同期ならなおさら、悔しさも大きいですし。でも、僕らが初めて「MBS漫才アワード」で優勝したとき、取材を終えて楽屋に戻ると、かまいたちや和牛をはじめ、同期のみんなが残ってくれていて、楽屋の前で花道を作って「おめでとう!」と迎えてくれたんです。心から喜んでくれて本当にうれしかったですね。同時に「自分はなんてちっぽけなんだろう」と。うれしさと恥ずかしさが一気に押し寄せてきて、泣けました(笑)。
── 自分のことのように喜んでくれる仲間がいるのは心強いですね。
田崎さん:あのときの光景はいまだに目に焼きついています。
──「ラララライ体操」で一躍有名になりましたが、強烈なインパクトゆえに「一発屋」と言われてしまうことも。実際には、漫才やコントでも評価の高いおふたりだけに、ジレンマを感じることはなかったですか?
田崎さん:テレビでの露出が増えるなかで、どうしても「ラララライの人」というイメージが強くなってしまって。大阪では漫才もコントもやっていましたが、全国的にはそうは見てもらえなかったんです。テレビ番組のオーディションで、「こんなネタもあります!」と言っても、門前払いでした。結局、賞レースで結果を残すしかない。そう思ってコンクールに力を入れながら、ライブも続け、2012年に「MBS漫才アワード」で賞を取ったことが転機になりました。
「ラララライ体操」は僕らを世に出してくれたネタで、大切な存在。でも、そこだけが強く残ってしまう難しさもあって、いまも模索しています。