叔母からのDMで母が舞台挨拶に来ていたことを知らされ
── そんな古原さんの活躍をお母さんは見てくれていたそうですね。
古原さん:5年くらい前かな、お母さんのお姉さんからDMで連絡が来たときに知りました。お母さんが1年ほど前に亡くなったことも、そのとき初めて知って。お母さんは『ゴーオンジャー10YG』の舞台挨拶に来ていたそうなんですが、会う資格がないと僕に連絡してこなかった。本音を言うと、会いに来てほしかった気持ちと、会わなくてホッとした気持ちの両方がありますね。もっと立派になってから会って、「今までのことは気にしなくていいんだよ」って言ってあげたかったとも思います。

── お互いに複雑な気持ちがありますよね。
古原さん:お母さんは会いづらかったんでしょうね。厳しいところもあったけど、優しい人で大好きだったから、生きてるうちに会いたかったな…。唯一の救いは、僕はお母さんが亡くなったのも弱っているのも見てないから、僕の中では亡くなっていないということで。ずっと会えないまま生き続けてるみたいな気がしているんです。ずっと気にかけてくれたおじいちゃんのことも、亡くなったのをこの目で見たのに、今も生きてると思っています。結局、受け容れたくないんですね。そのあと、お母さんの実家にお線香を上げに行って、それ以来定期的に通っていますが、普段は会えないお母さんに「僕のほうから会いに行ける」という感覚です。
── こうして大人になった古原さんが今、自身の生い立ちをYouTubeや講演会などで発信している言動力は何でしょうか?
古原さん:何かやりたいことがあっても、生い立ちや環境のせいにしてやらない人たちに勇気を伝えたいと思っています。僕も親がいないとか悲惨な環境で育ったことで卑屈になった時期もありました。でもそれを言い訳にしないで、自分から動けば何とかなる。僕ができるんだから、みんなもできるよっていう気持ちでやっています。
取材・文/原田早知 写真提供/古原靖久