児童養護施設に預けられるも面会に来るのは祖父だけ

── さまざまな面で父方のおじいさまが助けになってくれたのですね。

 

古原さん:そうですね。おじいちゃんには本当に感謝しています。お母さんがひとりで僕を育てるのはやはり大変だったようで、5歳のころに児童養護施設に預けられたのですが、面会に来る回数が徐々に減っていったんです。そのこともおじいちゃんはわかっていて、よく児童養護施設に会いに来てくれました。

 

古原靖久
芸能界デビューしたころ、妹さん(左)と父方のおじいさま(右)と

母方の祖父母とはぜんぜんつき合いがなかったのですが、おじいちゃんから「血の繋がりがあるんだから会いに行きなさい」と言われて、何回か会ったことがあります。おかげで今も関係性は悪くなくて、僕のことを応援してくれています。

 

実は、僕が芸能界に入るときも、おじいちゃんの知り合いに芸能界に精通している方がいて、事務所を紹介してもらいました。おじいちゃんは、「今がいちばん大事なときだぞ」が口癖でした。最初に言われたのは確か高校生のころだったのですが、それから10年くらいずっと電話するたびに言っていたから、「これじゃ一生大事なときが続くじゃないか」と思ってたけど(笑)。


 
おじいちゃんは芸能界の仕事が不安定なことを心配してくれていたんだと思います。そんなおじいちゃんも、もう亡くなってしまって。本当に寂しいです。おじいちゃん、僕と握手するとずっと手を離さないんですよね。握手するときも「今がいちばん大事なときだぞ」って、毎回力強く言われたのを覚えてます。昔軍人だったからか、握力も強くて。おじいちゃんの言葉や手の温もりは、よく思い出します。つらいときというより、やることが多いときや大変なとき、もうひと頑張りほしいなと思ったときに頭の中でいつも再生されます。

 

 

5歳から児童保護施設で暮らすことを余儀なくされた古原さん。そこは想像を絶する劣悪な環境で、幼い古原さんは何度も脱走を試みたそう。しかし、外の世界で出会った人たちにはよくしてもらったそうで、当時支えてもらった方々とは今でも連絡を取り合っていると言います。

 

取材・文/原田早知 写真提供/古原靖久