舞台を中心に活躍する俳優の古原靖久さんは、若くして結婚した父母のもとに生まれ、5歳までネグレクトのような過酷な状況で育ちました。それでもどうにか生きられたのは、父方の祖父のおかげだったと話します。(全3回中の1回)

母は16歳で出産「夜の仕事でほとんど家に帰らず」

── 古原さんが生まれたとき、ご両親はとても若かったそうですね。

 

古原さん:お母さんは16歳、お父さんは5、6歳違いだと思うので20歳そこそこですね。周りの反対を押しきって、かけおち同然で結婚して僕が生まれたらしいです。生まれたのは京都で、親はふたりとも夜の仕事をしていました。ほとんど家に帰って来なくて、小さいころはずっとひとりで留守番していました。

 

古原靖久
お母さんと遊園地に遊びに行ったときの1枚

両親は僕に食事だけ与えて、2、3日放置することもあったみたいです。そういうときはいつも、父方のおじいちゃんや、隣に住んでいるおばちゃんが気にかけてくれて。おじいちゃんが様子を見に来たら、おむつを取り替えないまま放置されていたことがあり、両親がおじいちゃんに叱られていたと聞かされた記憶があります。おじいちゃんに「お前のおむつを何回も替えたよ」と言われましたね。

 

── 家族で過ごした思い出はありますか?

 

古原さん:けっこうありますよ。何歳のときかは覚えていませんが、誕生日ケーキを用意してくれたのを覚えています。おじいちゃんの田舎に連れて行ってもらって、いとこと遊んだ記憶もあるし。お父さんのバイクの前に乗せられてパチンコに連れて行かれたことも覚えていますね。「ここに座ってな」と言われると何時間もおとなしく座っていました。本当はじっとしているのが苦手なタイプなのですが、親があまり家に帰って来ないので、いい子にしていなきゃまたいなくなるんじゃないかと不安で、自分を抑えていたんだと思います。

当時19歳の母がシングルマザーに

── ところが、古原さんが4歳のとき、ご両親は離婚してしまったそうですね。

 

古原さん:父母はよく大きな声でケンカしていたので、やっぱり若い夫婦が子どもを育てるのは大変だったんでしょうね。当時19歳だったお母さんが僕を引き取り、関東に引っ越しました。お母さんは僕を無認可保育園に預けて夜の仕事に行っていました。寝ているときに起こされて僕を背負って仕事に行くこともありました。その当時の夜のお店の、シャンパングラスの中にいちごのポッキーが入っていた光景をよく覚えています。だから僕、ポッキーはそういうふうにして食べるものだと思っていたんですよ。

 

お母さんはしょっちゅう引っ越しをしていて、僕はそのたびに保育園の友達が変わるのが寂しかったです。家計は大変だったと思います。家にいたら大家さんが入ってきて、お母さんとモメていた記憶があります。今思えば、家賃を滞納していたんでしょうね。

 

── ほかの親族からの援助はなかったのですか?

 

古原さん:両親が離婚してお母さんが僕を引き取ることになったとき、(父方の)おじいちゃんは「ちゃんと靖久のめんどうを見るんだぞ」という思いで、お母さんにまとまったお金を渡したと聞きました。車も買い与えたそうです。でも、その車も母は京都にいるうちに売ってしまった。お母さんは結局、仕事をしながらも遊ばずにいられなかったんだろうなと思います。