「もっとメールの返事をすればよかった」母への後悔

── 児童養護施設には19歳まで生活をされたそうですが、14歳のときにお母さまが病気で亡くなったと伺っています。

 

ブローハン聡さん:はい。母は乳がんで他界しました。今でも忘れられないのは、亡くなる1年前のことです。母は手術をするために、母と義父との間に生まれた弟と一緒にフィリピンに戻ったんですね。僕は母を駅で見送ったのですが、母が改札を抜けて、ホームに向かう階段を昇っていく後ろ姿を見て、「お母さんとはもう二度と会えないかもしれない」と瞬間的に感じたんです。

 

ブローハン聡
高校生のころ、はにかんだ笑顔が印象的な1枚

施設から駅までは徒歩10分くらいなんですけど、僕は母を見送った後、泣きながら走って帰りました。母は会えない間、何度もフィリピンからメールを送ってくれたんです。でも、最初のころはひらがなだったメールが、あるときからアルファベットになって。僕は「不思議だなあ」って思っていました。

 

あとになってわかったのですが、母は容態が悪くなって自分でメールが打てなくなり、看護師さんに代わりに文字を打ってもらっていたそうなんです。母が他界したと知らされたときは、ものすごくショックで落ち込んで。たくさん送ってくれたメールに対して「もっと返事をすればよかった」と、今でも後悔しています。

 

ブローハン聡
高校時代は複雑な思いを抱えていた

── それはつらいですね…。

 

ブローハン聡さん:母からとても愛されていた実感があったし、自分も母を愛していたから、母の他界後は、かけがえのない存在が突然いなくなって、大きな空虚感に襲われました。しばらくのあいだ「なんで俺を産んだんだよ」「生まれてきた意味って何なの!?」ってどうしようもない思いがあふれるばかりで。これまでの怒りの感情が、コントロールできないくらい自分の中で暴れ回っていた感じでした。まわりの子に比べて普通じゃない境遇に生まれたことを恨んだり、本当に苦しかったですね。

 

義父に対しては憎しみしかなかったし、「死にたい」と自分を追い詰める気持ちも強くなって。「気持ちが何個あるんだ!」っていうくらい、いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになっていました。