母との永遠の別れがきっかけでたぐり寄せた「生きる意味」
── 大事なお母さまを失ってつらい気持ちを自分で何とかしようとしていたんですね。
ブローハン聡さん:今でも覚えているんですけど、施設にピアノが置いてあるんです。夜中の1時くらいに、真っ暗闇のなか、そのピアノを無心になって弾きました。職員さんにびっくりされちゃったんですけど、そんなのもどうでもいいくらい、とにかく自分の気持ちのやり場がなくて。でも、誰かに話を聴いてほしいわけじゃなかったんです。だって、母はもうどこにもいないことは変えられない事実だから。

そんなとき、アフリカのスーダンで撮影された1枚の写真「ハゲワシと少女」を偶然、目にしたんです。僕は写真の印象だけじゃなく、その残酷なストーリーに思いを馳せずにはいられませんでした。餓死寸前の少女が地面にうずくまり、すぐそばにハゲワシがいる──写真の持つ張りつめた空気と、あまりにも残酷な背景に、胸が締めつけられました。「これは自分だ」と思ったんです。ご飯をもらえず、命の危険と隣り合わせの中で生きていた自分の幼少期と、あの少女が重なって見えました。
でも、そのときふと気づいたんです。あのときの自分、そして、写真と出会った今の自分には“命”がある。写真の中の少女が望んでいるであろう「明日を生きること」が、自分には与えられている。「死ぬ意味をつくることはできる。でも、生きていく意味もつくれるはずだ」。そう思えたのは、あの写真と出会えたことがきっかけでした。
それ以来、自分の過去や環境をただ悲観するのではなく、どう捉え、どう生き続けていくのか、そういった視点から物事を考えられるようになった気がします。たくさんの出会いや偶然が、いつからか「意味」を見つける力に変わっていったんです。今の僕があるのは、まさにその積み重ねだと思っています。
…
11歳で児童養護施設に保護されるまで耐え難い虐待を受け続け、14歳には最愛の母親まで失ったブローハン聡さん。一時期は自暴自棄になりかけましたが、小さな出会いから生きる意味を見出しました。19歳で児童養護施設を卒業したあとは、タレント活動など紆余曲折を経て、困難な境遇にいる子どもや若者を支援する立場に。ある女性とめぐり会い、気持ちに変化が生まれたそうです。
PROFILE ブローハン聡さん
ブローハン・さとし。1992年、東京都生まれ。一般社団法人コンパスナビ代表理事。フィリピンとスペインと日本のハーフ。11歳~19歳の8年間、東京都の児童養護施設で育つ。卒業後は、介護職を経てモデル・タレント活動を開始。「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」や「東京ボーイズコレクション」にも出場。同時に、一般社団法人コンパスナビの活動に参画し、2024年10月、代表理事に就任。著書に『虐待の子だった僕―実父義父と母の消えない記憶』がある。
取材・文/高梨真紀 写真提供/ブローハン聡