元卓球日本代表との意外な接点でプチブレイク

── そう思えるのが素敵です。

 

波田さん:全然、素敵じゃないですよ(笑)。ところがその後、リオオリンピックで元卓球日本代表の水谷隼選手がメダルを取ったときに、朝起きたらマネージャーから電話があって「お前、ワイドショーに出てるよ」って。それから、水谷選手のそっくりさんとしての仕事がバンバン入りだしました。そのおかげで、アルバイトも卒業できたんですよね。

 

波田陽区
「水谷隼選手のそっくりさん」として仕事が激増したそう

── すごいきっかけですね。

 

波田さん:いろんな人に感謝ですが、水谷さんにも大感謝です。その後、仕事で会ったときは「頑張ってくださいね」ってユニフォームをいただいたり、親身にしてくださったんです。普通は一発屋で、もう仕事もないようなやつに似てるって言われても、うれしくないじゃないですか。でも、水谷さんは「僕を通して卓球に興味を持ってくれる人がいればいい」と言ってくださって。器がでかいですよね。それから3か月くらいは、水谷さんの偽物として仕事ができて、そのおかげで子どもの給食費を払えていました。

 

── その後、仕事が徐々に増えた感じだったのでしょうか。

 

波田さん:そこから九州内で仕事がポツポツ増えてきて、なんとかアルバイトをせずに今に至っています。「奥さまがたれ目の自分推し」という理由で、20年前から寛平さんご夫妻が変わらずかわいがってくださって、寛平さんが福岡で舞台をされるときに出していただいたり。同じ事務所でもないのに、仕事がない僕を気遣って、使えそうな仕事に全部呼んでくださって。本当にお世話になっているんです。

 

ただ、寛平さんのなかでは、僕が福岡で大活躍していることになっていて(笑)。福岡で寛平さんの舞台に出してもらったときも、寛平さん的にはもっと盛り上がると思っていたみたいなんです。でも、僕が出てもそんなに盛り上がらないから「お前、福岡で活躍してるって聞いたけど」って不思議そうにしていました(笑)。活躍していないんですよ、別に。ギリギリ生きているだけなんです。

 

── とはいえ、今は九州各局でいくつかレギュラー番組を担当されていると伺いました。

 

波田さん:レギュラーはいくつかありますけど、別に大活躍じゃないので、なんとかバイトをせずに暮らせていっているという状況です。だから書いておいてください。福岡で大ブレイクはしていません、って(笑)。だけど、引っ越してこれでも明るくなれたし、すさんだ心もなくなったし。お仕事をいただいてありがとうございます、と素直に思えるようになりましたね。だからギャラも見なくなりましたね。

 

── ブレイク時は「通帳を見るのが心の支えだった」とお話しされていましたが、大きな変化ですね。

 

波田さん:ギャラを見て「あんなに頑張ったのにこんなに少ないんだ」と思いたくないんです。すべて同じ気持ちで仕事できるように、ギャラは見ないようにしています。

 

── ちなみに以前、バラエティ番組で「波田は福岡に引っ越してから『残念!』と言わなくなった」とイジられていました。何が理由があるのでしょうか?

 

波田さん:そんなに言う機会がないだけです(笑)。営業とかではもちろんやってるし。出演しているのは情報番組なので、日常会話でそんな「残念」って言わないんですよね。
ロケで人と絡んだりとか、何か残念なエピソードがあったら「残念」は言いますよ。拒んでるわけじゃないです。たまに言ってます(笑)。