ギター侍として一世を風靡した後、仕事が激減し、40歳を前に「芸人やめようかな」とまで思いつめていた波田陽区さんは、人生の再スタートを切るべく、福岡への移住を決意。「リオオリンピックに出場した某アスリートと似ている」と話題になったことも転機になったそう。移住して10年が経った今は、仕事への考え方が大きく変わったと語ります。(全4回中の4回)
「このままだとお父さんがヤバいと気づいてしまう」
── 10年前、40歳を機に福岡に移住したそうですね。
波田さん:そうなんです。40歳手前になったころ、本当に焦っていました。なんとかしなきゃ、自分を変えなきゃいけないって。新ネタもいろいろ試すけど全然おもしろいのができないし、自分の才能や実力のなさをまざまざと感じていました。「芸人をやめようかな」ぐらいに思っていたんですけど、何かを変えなきゃいけないと思って。ちょうどそんな時期に、お世話になっている間寛平さんの家でご飯を食べていたら「福岡に引っ越してみたら?」ってアドバイスをいただいたんです。
当時は息子が5歳になっていて、「お父さんなんで家にいるの?」「なんでテレビに出ないの?」みたいな空気をだんだん出してきていて。こっちが断ってるわけじゃないのよ、声がかからないだけなのよ、と(笑)。一度、玄関で「お父さん、もっと違うネタ考えたほうがいいよ」って言われたこともあるんです。

── 子どもからの率直なコメントはグサッときますね…。
波田さん:そうなんです。それで「家族も気づいているんだ」って。息子が小学校に上がるタイミングと僕が40歳になるタイミングがちょうど同じだったんです。それで、わらにもすがる気持ちで福岡に引っ越しました。
とにかくスケジュールが真っ白だったので、本当に助けてほしい、っていう。すさんでいる自分をなんとか変えたいし、このままだと息子もお父さんがヤバいと完全に気づいてしまう。それで環境を変えたくて。本当にゼロからのスタートでした。
── 波田さんは山口県出身で、九州の大学に通っていた縁があるとはいえ、やはり現地で受け入れてもらうまでには時間がかかったと思います。どうやって仕事を増やしたのですか?
波田さん:すんなり仕事が増えたわけじゃないんですよ。事務所のかたと挨拶回りに行ったりして、この10年でちょっとずつ仕事をもらえるようになりました。最初は福岡国際空港で週5日、Wi-Fi機器を渡すアルバイトをしていました。

── アルバイトはどれぐらいの期間続けたのですか?
波田さん:半年間ぐらいですね。週5で朝7時から夕方5時まで、海外に行く方にWi-Fi機器を渡して「いってらっしゃい」と見送る仕事です。それだけの簡単な仕事なのに、ちゃんと給料をいただけてありがたかったです。
── お客さんからからかわれたりしなかったですか?
波田さん:それはめちゃくちゃありました。半年間で、数回会う人もいて「まだいるの?お前」みたいに小バカにする人もいました。でも「頑張って」と応援してくださる方もいたので、半々ぐらいですね。
たまたまイモトアヤコが事務所の後輩なんです。そのご縁で、事務所の方がイモトのWi-Fiの社長に話をしてくれたのがきっかけで。本当にずっと人に助けてもらっているな、と思います。仕事を失って、人や仕事や環境に感謝する心が芽生えてきたんですよね。福岡にいると特に感じます。そういうことが、以前はわからなかったんです。ブレイクして、仕事があるのが当たり前になって、その後はどんどんすさんでいって…。福岡に引っ越してから一つひとつがありがたいなと思うようになりましたね。