「30歳で芸人をやめろ」と言われた父とのその後

── 移住後、ご家族の反応はいかがでしたか?

 

波田さん:奥さんは熊本出身、僕は山口出身なので、両方に顔を出しやすくなりました。福岡は交通の便もいいし、奥さんは喜んでくれていると思います。息子は今年から高校生なんですが、以前は「引っ越したころは、ゼロからのスタートだから嫌だった」とは言っていました。今は思春期だからあんまり話してもらえないので、今の心境はわかりませんが、友達もいるし、よかったんじゃないかなと思います。

 

僕の親も、テレビに出ている僕を見てくれて、ほっとしてくれているようでうれしいです。恩返しとまではいかないですけど、ありがたいなと思いますね。

 

波田陽区
福岡移住後は以前よりリラックスして仕事に打ち込めるようになったそう。いい笑顔!

── お父さんは、芸人になった当初は「30歳でやめろ」と言っていたそうですが、その後のご活躍を見て喜ばれたのでは?

 

波田さん:実は親父は3年前に亡くなったんです。結局、親父は僕がテレビに出したら応援してくれて、そこからはあんまり小言は言わなくなりました。ただ、僕の仕事が減ってきたときは「ほかの仕事も考えろ」と、また小言は言っていましたけどね。僕も人の親になってわかります。僕自身、息子についいろいろ言っちゃうし。『エンタの神様』(日本テレビ系)に出てもらったお金で少しは親孝行できたし、今も放送を見てもらえるようになったので、これからも自分なりに親孝行していければいいなと思います。

 

── ちなみに、チャンスがあったらまた東京で活躍したいという気持ちはありますか?

 

波田さん:もう1回ですか?全然ないですね。東京にたまに呼んでもらうのが小旅行みたいで楽しいです。2、3か月に1度、東京に来るんですけど、そのたびに「東京も変わったな~、こんなビルができたんだ」みたいな(笑)。今は前よりリラックスして仕事できていますね。すさんでいたときは本当にいじけていたし、態度が悪かったと思います。でも今は、僕みたいな人間でも、呼んでいただけるという場所があればどこでも行きたいなという思いですね。

 

── なぜそこまで変われたのでしょうか。

 

波田さん:環境を変えて1回ゼロになったというのは大きいかもしれないですね。自分には何もできないって思いこんでいましたけど、今は少なくとも昔より大きな声でネタをやってます。20年前からやっているギター侍を、自分なりにもう一度ちゃんと持ち直そう、と。

 

数日前も、企業のパーティーに呼んでいただいたんです。前日に「この部長はこんなクセがある」と情報をもらって、その部長さんを斬るんです。それをステージで披露すると、みなさん喜んでくださって。

 

── それは盛り上がりそうです。

 

波田さん:結婚式に呼んでもらったら、新郎新婦を斬ったりするのも喜ばれます。地域のお祭りにも行きます。そういう地元に根ざした営業ができたらなと思います。あとは、いつか寛平さんをゲストとして、お仕事で呼べる立場になりたい。恩返しをしたいというのは、大きなモチベーションですね。

 

 

波田陽区さんが振り返る紆余曲折の芸人人生は、感謝の言葉に満ちていました。取材後「胸が温かくなりました」と伝えると「全然いい話じゃないんですよ。一発屋の哀しい話です」と穏やかな表情で笑った波田陽区さん。福岡という自分らしい居場所で、今日もギターを手に声を張り上げています。

 

PROFILE 波田陽区さん

はた・ようく。1975年山口県下関市生まれ。ギターをかき鳴らしながらタレントや著名人にツッコみを入れる「ギター侍」ネタで2004年にブレイク。現在は福岡県を拠点に、テレビや営業など幅広く活動中。

 

取材/文・市岡ひかり 写真提供/波田陽区、ワタナベエンターテインメント