帰省で知った母の本心と現在の関係性

── ご家族に伝えることに葛藤もあったかと思います。

 

滝沢さん:親に伝えるのはいちばん勇気が必要でした。26歳のころにつき合っていたパートナーと一緒に暮らそうという話になったとき、嘘をつくのが嫌で母に彼女との関係を話すことにしたんです。「友達と住む」といえばそれで済んだのかもしれませんが、ちゃんとけじめをつけたかった。ただ、面と向かって話す勇気は持てなかったので、まずは自分が同性愛者であること、パートナーと一緒に住むことをLINEで伝えることにしたんです。

 

滝沢ななえ
現在は同性のパートナーと愛犬2匹とともに暮らしている滝沢さん

── お母さんからはどんな反応がありましたか。

 

滝沢さん:あれこれ言われるんだろうなぁと予想していたんですが、短い言葉で「あなたがそう思うならそれでいい」と返事がありました。そして「覚悟が必要だし、相手に対する責任も持ってちゃんと生きなさい」と。その後、年末年始にパートナーと一緒に私の実家に帰省することがありました。最初のころは姉妹には「一緒に住んでいる友達」と伝えていたので、姉や妹にも伝えたいと母に相談しましたが「そういうことはいろんな人に言うことではない」と言われてしまって。母はある程度は消化してくれているけど、完全に受け入れてくれているわけではないんだなと悟りましたし、そこで母の心の奥にある気持ち、本心をくみ取れたような感じがしました。

 

── その後、お母さんとの関係性に変化はありましたか。

 

滝沢さん:母とは以前と変わらない関係が続いていたんですが、テレビで公表した後は1年ほど、母からは連絡がこないし、私からも連絡をしないという、お互いに少し距離を取っていた時期がありました。母は母で葛藤があったでしょうし、娘を理解する時間が必要だったんだと思います。ただ、お互いに連絡はとらなかったけれど、母も私の活動を見てくれていましたし、母なりに理解を少しずつ深めてくれたんだと思います。今では私が母のバレーボールチームのコーチをしたり、パートナーも含めて一緒によく出かけたりするんですよ。私が知らないところで母とパートナーが連絡を取り合っていたりして仲よくしているので、今は私の生き方を受け入れてくれているんじゃないかと感じます。

 

── 滝沢さんにとって、パートナーはどんな存在ですか?

 

滝沢さん:「自分にはないものを補ってくれる存在」です。日本では同性同士の婚姻が認められていないので正式に家族にはなれませんが、今後も自分たちなりの家族の形を作りながら一緒にいれたらと思っています。

 

── セクシャル・マイノリティに対する理解や認知度は世代によって格差があると思います。そういった意味でも滝沢さんのお母さんは少しずつ理解を深めていったんでしょうね。

 

滝沢さん:セクシャル・マイノリティといっても、同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなど、その在り方は多様です。母は60代前半でその知識や理解が乏しく、正直、どう接していいかわからなかったはずです。実際、最初のころは、私の心が男なのか、それとも男性になりたいのか、どちらでもないのか、わからなかったようです。私をきっかけにセクシャル・マイノリティに対する理解を深めてもらえたのかもしれませんね。

 

── カミングアウトは難しい問題だと思いますが、滝沢さんご自身はどのようにお考えですか。

 

滝沢さん:何が何でも公表しなければいけないとは思っていないですし、公表することが正解だとも思っていません。私の周りにも同性で人生を共にしている方がいますが、カミングアウトはしていません。それは当事者がそれぞれ選択すればいいことだと私は思っていますね。