22歳のころにセクシャル・マイノリティであることに気づいた滝沢さんは、現役引退後の2017年に出演したテレビ番組でレズビアンであることをカミングアウト。セクシャル・マイノリティを公表する人がまだ少ない時代に、彼女はなぜ公表に踏みきったのか。(全2回中の2回)
誹謗中傷も覚悟していたけれど
── 2017年にテレビ番組で同性愛者であることをカミングアウトされました。公表に至った理由を教えてください。
滝沢さん:カミングアウトしたのは引退してから4年ほど経ったころだったんですが、仕事の方向性などを決めるなかで自分にしかできないことって何だろと考えていたんです。同性愛者だということを知っていた方に相談するうちに、私がマイノリティのことを発信することで同じような立場の人たちの希望や励み、支えになれることがあるかもしれないと考えるようになって。ちょうどそのタイミングでテレビのバラエティ番組から出演のオファーをいただいて公表することを決めたんです。当時は今ほどセクシャル・マイノリティを公表する方が多くなかったですし、周囲の理解も深くなかったので、どんな反響があるか、もちろん不安はありました。でも、親や家族と疎遠になってもいいというくらいの覚悟は持っていたんです。

── カミングアウト直後の反応はいかがでしたか。
滝沢さん:誹謗中傷やネガティブな意見はあるかなと覚悟していました。自分の耳に入っていなかっただけかもしれませんが、知りうる限りではそういった反応はなかったですね。私の場合は、知人や友達からも「すごい勇気が必要だったと思うけど、これからも応援してるよ」とか「どんなななえでも、ななえにかわりはないから。これからもよろしく」とポジティブな言葉をかけてもらうことが多かったです。
自分に嘘をついて生きることに窮屈さを感じて
── ご自身と同じような立場の人の希望にという思いがあったとはいえ、家族と疎遠になってもいいと覚悟していた滝沢さん。そこにはどんな思いがあったのでしょうか。
滝沢さん:22歳で自分が同性愛者だと気づき、初めて女性とつき合ってからカミングアウトするまでの8年弱はセクシャル・マイノリティであることを隠し、自分に嘘をついて生きてきました。ただ、20代後半になって結婚や出産のライフステージに入ってくると普段の会話にもそういった話題が増えたり、「なんで彼氏がいないの?」と聞かれることが多くなって。「今は忙しいから」「仕事が好きなんで」と答えていたんですが、実際は彼女がいて。ひと言でいえば嘘をつくことに疲れていました。親友やセクシャル・マイノリティの友達と一緒にいる時は素の自分でいられるぶん、そのギャップに窮屈さや生きにくさを感じました。自分自身の人生だからこそ周りの声は関係なく、自分が生きたいように自分らしく生きたい、そう思って覚悟を決めたんです。
── 親友には公表前にセクシャル・マイノリティであることをお伝えしていたんですか。
滝沢さん:伝えたのは22歳で初めて彼女ができたころだったと思います。でも、それも私から伝えたのではなく、向こうから『ななえって女の子が好きなの?』と聞かれたんです。本当に仲がよかったのでなんとなく察していたのかもしれませんね。親友は当時、私がつき合っていた人とも会ってくれましたし、すんなり受け入れてくれました。親友はセクシャル・マイノリティではないですけど、自分のありのままを話せること、受け入れてもらえたのは心強かったですし、私にとっては本当に大きな存在でした。