子役出身で現在は声優として活躍する斉藤こず恵さん。2004年に甲状腺がんと診断され、その後に転移。さらに頭部の腫瘍も発覚し、当初は治療費に2000万円以上もかかったそう。がんと闘い続けた20年を振り返ります。(全4回中の3回)
30代で「余命は10年」と宣告された

── 2004年に甲状腺がんが発覚したそうですが、初めはどのような症状で異変に気づかれたのでしょう。発覚したときの経緯を教えてください。
斉藤さん:当時はアメリカ人の方と結婚してニューヨークに住んでいました。アメリカと日本を行き来していたころだったのですが、森公美子さんたちと共にミュージカルを1年間やらせていただいているなかで、ファルセット(裏声)が出なくなって。「おかしいな」と、アメリカに帰ってから、定期的に声帯のチェックを受けているファミリードクターにかかって検査したら、ぎりぎり目視できるレベルの小さなポリープが見つかったんです。それは甲状腺がんの疑いがあるということでした。
私は子どものころから甲状腺障害があり「甲状腺機能低下症」と診断されていたので「甲状腺がんの疑い」と聞いて、思い当たらなくもないなと。ちょうど、テレビのダイエット企画で海藻やきのこだけを食べるなど1つの食材だけを摂取するような偏ったダイエットをやって、1年半で体重を97キロから42キロまで落としたときでした。甲状腺機能に影響を与えるような食品の過剰摂取もよくなかったと思います。
日本に戻って東京の大きな病院で検査を受けたら甲状腺がんのなかでも多いと言われる乳頭がんであることがわかりました。
── 乳頭がんが発覚して、どのような治療を受けられたのか教えてください。
斉藤さん:私自身、治療方法や副作用にはすごく敏感になっていました。当時はまだSNSが発達してなかったので、情報収集がままならず、経験者の方の話を直接聞きに行ったりもしましたし、納得のいく治療を求めてフォースオピニオンまで聞きに行きました。そのなかで女性としての臓器に今後弊害が出ると言われ、「余命は10年」と余命宣告を受けました。当時はまだ30代だったので、治療の選択肢を模索しましたね。基本的には手術で切除が一般的なのですが、後遺症で声を出せなくなる可能性があることが怖くて。手術ではなく、最新の放射線治療と抗がん剤やホルモン薬による治療を選びました。
新薬や治験にも挑み、治療費は7年で2000万円

── どれくらいの期間、治療は続いたのでしょうか?その間はお仕事もできなかったのではないでしょうか?
斉藤さん:7年くらいです。離婚してアメリカから帰国したタイミングだったこともあり、向こうで入っていた保険が使えなくて、全部自腹でした。日本で健康保険に入り、後ほど高額医療費の申請をしたりもしましたが、新薬が治験で1本120万円くらいの抗がん剤を打ったりもして、7年間で2000万円以上かかりました。
治療中は今まで通りに仕事ができる状態ではなかったので、単発のものなど、受けられる仕事だけをやっていました。私、がんであることは家族にも当時、黙っていたんです。というのも、同じ時期に父が認知症になり、母は病気で入院。妹は子育てでメンタルの疲れが出て、私も子育てをサポートしていたので。家族が憔悴しているところに私のことを言える状況ではなかったんです。
そんなときたまたま、がんセンターで芸能レポーターの梨本さんにお会いして「こず恵ちゃん、なんでここにいるの!?」って。当時、取材で来たと仰っていた梨本さんに「大丈夫だよ、週刊誌とかテレビには言わないから」と。それでがんのことを話すと「公表しないほうがいい」とアドバイスもらいました。当時は公表することによって仕事がなくなったりする時代でした。そのアドバイスを聞いて、周りには言わないと決めました。後に梨本さんもがんで闘病中だったことを、ご本人の告白記事で知りました。
仕事はセーブしましたが、直前までダイエット企画に多数出演したり、ドラマや舞台などでたくさん働いた時期だったので、休める経済力もあり、3年間ほど治療に専念できました。