残された母との関係も…50代で発覚した新たな事実

── お父さんを亡くされ、おひとりになったお母さんのことも心配ですね。
斉藤さん:母は父を亡くしてしばらくはひどく肩を落としていましたが、最近ようやく自分の趣味を始めた感じです。私たち親子は母のほうが娘みたいなところがあって、天真爛漫かつ破天荒すぎる母をいつも私が気にかけている状態(笑)。
私って家族や親しい人の頼みごとを断れない性分で、無理してでも「大丈夫」とやってきてしまったのですが、実はそれが知らない間にストレスになっていたようで。「子どものころからの強迫性障害だった」と、つい最近、診断されたんです。カウンセリングを勧められて行った心療内科で判明しました。
最初にそれを指摘してカウンセリングを勧めてくれたのは夫だったんですよ。「あなたは仕事からはご機嫌で帰ってくるけど、お母さんと会うと眉間にしわを寄せて帰ってくる」と言うのです。母とは仲がいいからケンカをすることはあっても、私としてはいつも通りのつもりだったんですが、第三者から見ると違ったみたい。
「疲れるんだったら会わなきゃいいじゃない」って思うレベルで。でも母ですから、会わないわけにはいかないと思うわけです。「今日行かなきゃいけないとか、私がやってあげないと!」と考えてしまうことが強迫性障害によるものなんだと気がつきました。「お互いが疲れるなら、最低限困っていないかの生存確認だけはして、無理に会わなくてもいいんだよ」と夫に言ってもらいハッとしましたね。
2004年に甲状腺がんに罹ってからはお酒を飲まなくなり、ストレスを発散できるものが減ったので、それは心も疲弊しますよね。長年当たり前だと思っていて、なかなか気づきにくいことがあるんだなって、この年で自分を知りました。
それと同時に、私にとっては3歳からやっている仕事が特技であり、趣味であり、ストレス発散なんだということにも改めて気づいて。特に、今やらせていただいている声優のお仕事が大好きで、自分の出演シーンを見返して、仕事の反省や勉強もかねていろいろ考えるのが好きで。それが自分らしくいられる平和な時間になっています。
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子役としてお茶の間の人気者となった斉藤さんですが、学生時代は嫉妬や妬みもあり、容姿のことで壮絶ないじめを経験します。「ブス」などの中傷は大人になってからも続いたそうですが、「そんなことを言ってはダメです」と当時諭してくれたのが、杉本彩さん。その言葉に斉藤さんは救われたと言います。
PROFILE 斉藤こず恵さん
さいとう・こずえ。1967年生まれ、東京都出身。3歳で劇団若草に入団。74年NHKの朝ドラ・連続テレビ小説『鳩子の海』でヒロインの少女時代を好演し一躍人気子役に。76年には『山口さんちのツトム君』で歌手デビュー。その後、芸能活動を休止し、アメリカの大学に進学。帰国後は舞台俳優として活動のかたわら、テレビなどで数々のダイエット企画に挑戦する姿が話題に。現在は声優としても活動の場を広げている。
取材・文/加藤文惠 写真提供/斉藤こず恵