1970年代、6歳で子役として注目を集め『山口さんちのツトム君』を歌って一躍お茶の間の人気者となった斉藤こず恵さん。テレビの裏側では、未婚の母と2つの家庭を持っていた父の子として幼少期を過ごしていました。(全4回中の1回)

小学1年生でマスコミ恐怖症に

斉藤こず恵
4歳のころの斉藤こず恵さん

── 以前、ご自身が「隠し子」であるとテレビ番組で告白なさっていましたが、そのことは何歳くらいのころからご存じだったのでしょうか?

 

斉藤さん:テレビでは「隠し子」という表現になってしまったのですが、厳密には、父が家庭を2つ持っていて、母が未婚で私を産んだので、一般的に言う「愛人の子」だったということですね。父は認知もして向こうの家庭の奥さんも知っていましたし、腹違いの兄たちにも会ってましたから、「隠し子」ではなかったんです。

 

父と母と妹と暮らしていたので、私がいわゆる「愛人の子」であることは、小さいころは知りませんでした。知ったのは、NHK連続テレビ小説『鳩子の海』が始まって、子役として注目されていたころ。小学校の門の前でカメラを抱えた記者がたくさん待っていたんですよ。それで「お父さんはお母さんと結婚してないよ」とか「愛人の子だよね?」とか「妹は本当の姉妹なの?」とか、記者が取り囲んでそういうことを小学1年生の私に聞いて来たんです。今じゃ考えられないでしょう(笑)。小学1年生でマスコミ恐怖症になりました。当時、マスコミの取材はなんでもありの時代でしたからね。学校からNHKまで、仕事は電車で行ってたんですけど、その一件で車に変わりましたね。

 

実はそれよりも前に、近所のおばさんから「あんたのお父さん、本当のお父さんじゃないわよ」と言われたことがあったんです。お父さんは本物なのでそのおばさんが勘違いしていたわけですが、この騒動でそれを思い出して、幼い私は「本当の子じゃないのか?」と思っちゃったんですよ。それでつらい気持ちになったこともありました。その後、小学校高学年のとき、「実はお兄ちゃんがいるよ。パパにはお母さんとは別に奥さんもいるんだ」と父から聞かされて。自分が「本当の子ども」ということはわかりました。

 

私が大学留学した後に父が離婚して、正式に母と籍を入れた感じです。

 

斉藤こず恵
11歳のころ。子役として大人気に

── 多感な時期に知った事実。人によっては道を逸れてしまったりしそうですが、当時はどのようにとらえていらしたのでしょうか?

 

斉藤さん:そうですよね。グレなかったのは、普通の子と違って私がもう大人だったからだったと思います。私は自分の家を頭金を出して買えるくらい稼ぎのある子どもだったので、子どもらしくないというか、それなりにもう社会で頑張ってきて。ある意味、社会人なところがあり、中学くらいのころにはものを見透かすようになっていました(笑)。

 

一方で、実際はまだ子どもですから、マスコミ恐怖症で人間不信になりましたし、学校でいじめにもあいました。「子役で知られる私はつくられたイメージであって、本当の私じゃない」とか考えて、自分のマネージメントの仕方がわからなくなったんですよ。芸能界の仕事から離れていた中高生のころはいちばん悩みましたね。高校卒業後にアメリカに留学したのですが、そういうものから解放されたいという思いとともに、何をするにもすごく厳しかった親から逃れたいという思いがありました。