念願のレストラン経営撤退も「後悔はありません」
── お子さんたちもそれぞれ自立して活躍されていますが、高橋さんはおととし、念願だったレストランの経営を始めたそうですね。
高橋さん:料理が好きで、ずっとレストランでアルバイトをしていました。イベントやフリーマーケットでも私が作ったフィリピン料理の販売をしていましたし、飲食関係での勤務経験が18年ほどあったので、いつか自分でお店を持ちたいと思っていました。おととし京都の祇園で、62歳のときにフィリピン料理のレストランの経営を始めることにしたんです。日本のお出汁を使うなど、フィリピン料理を日本風にアレンジしていることもあって、「食べやすい」と喜んでくださるお客さんも多かったです。

── レストランを開きたいと言った際のご家族の反応はいかがでしたか。
高橋さん:夫と息子は大反対でした。夫は心配性なので「もう歳なのにひとりで大丈夫?」と言われましたね。でも私は「ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさんは65歳で始めたんやから、私にできないわけがない」と答えました。「後悔しないようにお母さんの好きにやってみたら」と娘2人は背中を押してくれました。
── リピーターもいらしたそうですが、お客さんに惜しまれながらお店は1年で畳んだそうですね。
高橋さん:やはり自分ひとりですべてをするのは大変でした。経営はもちろん、物の運搬から、調理に接客も全部ひとりでしていたら疲れてしまったんです。でも、自分でレストランを開くのは夢だったので、それを叶えたことに後悔はありません。祇園という土地柄もあって、いろんなお客さんが来てくださり、知り合いになれたこともうれしかったです。「またレストランを開いてくれませんか」と声をかけてもらうことも多いのですが、責任者は大変ですし、好きなときに休めないので孫たちとの時間もなかなかとることができません。今はホテルのレストランのキッチンで週に2〜3回アルバイトしていますが、孫の面倒もみながら、自分の時間もとれるゆとりがあるのがいいですね。
── 現在64歳になられました。これからの人生はどのように過ごしていきたいですか。
高橋さん:今、孫が4人いるのですが、孫と過ごす時間を増やして、孫たちのために生きたいです。将来は孫のためにも、まだまだ元気でいなきゃと思います。あとは、きょうだいで唯一結婚していない、メアリージュンの結婚式に出席するのも夢です(笑)。私の人生の幸せは、やっぱり家族の幸せです。家族がいつまでも笑っていられるようにしたいですね。
PROFILE 高橋ペンさん
たかはし・ぺん。フィリピンで生まれ、1983年に歌手兼ダンサーとして来日。結婚後、4人の子どもに恵まれる。モデルで長女の高橋メアリージュン、アーティストの長男、モデルで次女の高橋ユウ、サッカー選手で次男の高橋祐治の4人の母。
取材・文/内橋明日香 写真提供/高橋ペン