ジャガーさんに復帰の相談「早ければ早いほうがいいと」
── 出産後、何か心境の変化はありましたか?
広田さん:出産前から、実家や義理のお母さんに頼るつもりはなかったんです。そのころには元夫とも不仲になっていたので、「私ひとりでこの子たちを育てよう」という覚悟で出産しました。産後直後や子どもたちが赤ちゃんのころは「死なせてはいけない」と必死でしたが、8歳になった今は「めちゃくちゃかわいい」と思える余裕が出てきましたね。
── プロレスへの復帰は、どのように決めましたか?
広田さん:出産後の復帰はいつごろがいいか、ジャガー横田さんに相談しました。ジャガーさんはなんと産後2か月で復帰したんです(笑)。「レスラーの感覚がなくなる前に、なるべく早く復帰したほうがいいよ」ってアドバイスをくれて。それを受けて半年で復帰しました。
── 双子を帝王切開で出産されて、半年でのレスラー復帰はスゴすぎます…!
広田さん:さすがに出血がおさまるまで、産後1週間はトレーニングを控えました。でもおっぱいをあげながら、「腹筋ってどんなものかな」ってやってみたら予想以上に筋力が落ちていて、床にペタンってなってしまって。
── 産後は動くだけでも、体が痛いですよね。
広田さん:だから、産後2か月目から自宅でトレーニングを始めました。半年で復帰しようとしたら、5か月目にはもうプロレスができる体になっていなければならない。だから産後3か月のころには、もう受け身を取るような強度の高い練習を始めていました。

── 当時の旦那さんとは不仲だったというお話がありましたが、産後はワンオペで育児をされていたのですか。
広田さん:ほぼワンオペでした。 別居ではなかったのですが、子どもを家にはおいていけない状態だったので。試合や地方巡業にも飛行機に乗せて連れていっていました。
── 職場である試合会場では、お子さんたちはどのように過ごしていたのでしょう。
広田さん:人懐っこい子だったので、誰に抱っこされても大丈夫だったんです。控室で泣いてしまうことがあっても、入れ代わり立ち代わり誰かが抱っこしてくれる状況でした。プロレスの試合は、長くても20、30分程度。会場に連れていったときは、試合ギリギリまで私がめんどうを見て、試合中は子どもが飛び出さないようにサークルに入れて。その間は、誰かが子どもを見ていてくれていました。
復職するにあたって、「今はワンオペ育児の状態なので、会場に連れていくしかありません。ご迷惑をおかけすると思いますが、みなさまご協力お願いします」って素直に伝えました。もしも試合中にオムツ替えが必要になったら、「これでやってください」って頼んだりもしていましたね。
子どもがハイハイをし出すようになると、バッグやヘアアイロンを床に置いておくと触って危険なので、「今は机の上に置いてもらえたら助かる」とお願いしたりして。そうしているうちに、ある選手が「赤ちゃんが扉の後ろにいるかもしれないので、ドアはそっと開けてください」と書いてくれたことがありました。周りのみんなが、子どもたちの安全を気にかけて協力してくれて。本当にありがたい環境でした。
── お話をお聞きしていると、みんなで子どもを育てている姿がうかがえます。でも実際には職場に子どもを連れていくことは、難しいケースが多いですよね…。
広田さん:私は本当にラッキーでした。プライベートを公表していたおかげで、シングルマザーで子どもを育てていることを周りが知っていて。そういう意味では、周りの方からの協力は得やすかったかもしれないです。