18歳で長与千種さんのもとでプロレスラーとしてデビューした広田さくらさん。46歳となった現在もリングに上がり続けています。と同時に、シングルマザーとして双子の育児にも奮闘中。休日に休めない仕事ゆえ、当初は葛藤もあったといいます。(全2回中の2回)
結婚から不妊治療までプライベートをすべて公表するワケ
── 広田さんは、結婚時にリングネームを「旧姓・広田さくら」と改名されたり、「結婚披露宴興行」を行うなど、斬新な試みをされています。自分のプライベートを公表することに抵抗はなかったですか?
広田さん:私のなかでプロレスは「自分を発信する場所」なんです。だから、プライベートを隠さずに出していくことは普通の流れでした。最初はたしか「今日、この会場に彼氏が観に来てるから、からかうのはやめてよね」みたいなマイクパフォーマンスがきっかけだったと思います。結果的に場外乱闘になり、彼氏が対戦相手に羽交い絞めにされる、みたいな(笑)。

── なるほど(笑)。そんな思いがあって、不妊治療のためにプロレスを休業されることを会見で発表されたのですね。
広田さん:不妊治療を始めることになったときも、隠さずに発表したいって思っていたんです。不妊治療を公表することによって、同じ悩みを抱えている人や不妊治療に踏み出せない人たちを勇気づけられるのではないかという思いが芽生えたので。
── 具体的にはどのような治療を経験されたのでしょうか。
広田さん:男性不妊だったので、治療というより妊娠の方法を病院に提示してもらった形です。手探りの治療ではなく、明確な道筋があったので、気分的にはそれほどつらさを感じなかったと思います。それに、同じ境遇の人、ファンや関係者の方が応援してくれたことが、気持ち的には大きかったですね。だからこそ、誠実でいたいという思いから、ブログなどで不妊治療について隠すことなく発信していました。
── プロレスとの両立はどのように?
広田さん:着床したらプロレスは少し休むつもりでしたが、採卵までは試合に出続けると決めていたので、控室のトイレでお腹に注射もしましたね。採卵して無事凍結に至った受精卵を体内に戻し、着床するまではプロレスを続ける想定で、休業する期間を逆算して計画していました。だから、不妊治療を行うために、ある程度の生活費を貯めたうえで治療を始めたんです。
── 仕事になるべく影響が出ないように調整されたのですね。
広田さん:そうですね。欠場する3か月前くらいから治療は始めていました。自分で注射を打つ必要があったのですが、「何時何分に打つ」と時間まで決まっていたので、地方大会にも注射を持参。さらに1週間おきに通院しなければならなかったので、あのころは本当に忙しいタレント並のスケジュールでしたね(笑)。
── 38歳で双子を出産されました。当時の旦那さんは不妊治療に協力的だったのでしょうか。
広田さん:元夫は「子どもがほしい」と言っていたのですが、結婚後5年ほどは「ほしいけど、じゃあどうする?」という状況のまま、のらりくらりとしていて。意を決して専用キットを取り寄せて調べたら、精子がゼロと判明。それからは、病院でちゃんと治療しようという流れになりました。
実は一度流産しているのですが、次の生理が来れば受精卵を体内に戻せますと病院が提案してくれて。当時、顕微授精の2回目以降は2つ受精卵を戻せると説明され、妊娠率が上がるように2つ受精卵を戻した結果、男女の双子の赤ちゃんに恵まれました。元夫も、結果的に不妊治療を公表することに同意してくれました。

── 双子育児は大変だったのではないですか?
広田さん:よく聞かれるのですが、最初から2人だったので1人の育児と比べる術がなかったし、そんなに大変とは思わなかったかな。プロレスの下積みを経験していたおかげで、だいたいのことを大変とは思わない体質になっていたんでしょうね(笑)。