学びさえ続ければ焦りはなくなる

政井マヤ
出産前の最後のテレビ収録で

── 学校を休むと決めてから、どのように過ごしましたか? 

 

政井さん:まずは、傷ついてしまった心を癒やして、安心できる時間を作ることを最優先しました。同時に、勉強が遅れることで復帰のさまたげにならないよう「休むこと」「楽しむこと」「学ぶこと」の3つを大切にしていたように思います。

 

── 学校との話し合いはどのように進めましたか? 

 

政井さん:ほとんどの先生は温かく見守ってくださいましたが、なかには「寒いから怠けているのでは?」「休み明けの不登校は学校の問題ではないのでは?」といった言葉を悪気なくおっしゃる先生もいて。

 

でも、それを機に「今の環境で無理にがんばらせる必要はない」「ほかの可能性も探そう」と方向転換できました。親自身が「今の学校に行かせなければならない」というプレッシャーから解放されることで、シンプルに「子どもを守ること」「選択肢を探すこと」に集中できたのかもしれません。 その後、さいわい子どもに合った学校を見つけることができ、転校後は生き生きと過ごせるようになりました。振り返ると、当時は本人もつらかったと思いますが、学びや新しい挑戦、出会いを通じて得たものも多かったと感じています。なので、振り返って学校に行けなかった時期は、マイナスだけではない出来事だったと今は胸を張って言えます。 

 

だだ、渦中にいるときは、親としてきちんと導けているだろうかと不安でいっぱいでした。どちらかというと、子どもは学校に行かなくなってつらい葛藤やストレス源から離れてホッとするのですが、親としては、不登校になってからが本当の悩みの始まりでした。どう支えればいいのか、どこまで休ませるべきなのか、将来に影響はないのか…そんな不安が次々と押し寄せました。 解決策を求めてネットで調べていると、不登校児の親を責める風潮が多々あることに直面します。親はすでに必死に子どもを支えていますし、特に母親は自分を責めてしまいがちなので、どうか周囲には温かく見守ってほしいと心から願います。 

 

政井マヤ
子どもといっしょにお出かけ

── 「勉強の遅れ」が気になる親御さんは多いと思いますが、その点はいかがでしたか? 

 

政井さん:私もそこがいちばんの心配でしたが、やはり家だとダラダラしてしまいがちなので、基本的には、学校の時間帯は勉強したり本を読んだり、身体を動かしたり、お手伝いをしたりする時間にして、テレビやゲームは放課後の時間、とおおまかに決めました。 

 

ノートに1日のスケジュールを作って、やることを相談して書き出して、チェックしたり、そこに交換日記のようにメッセージをやり取りしたり。  

 

とはいえ、難しい時もあるので、どんな形でもゆっくりでも「学びさえ止めなければ大丈夫」だと思います。不登校の時期は、本人の好きな分野をとことん掘り下げるなど、そういったことでもよいと思うので、学びは続けるのが良いと思います。 

 

── 具体的にはどのようにホームスクーリングを進めたのでしょうか? 

 

政井さん:教科書やドリルだけにこだわらず、タブレット学習や公文、葉一さんなどの教育系YouTubeもありがたい存在でした。 また、博物館や動物園、映画も学びの一環と捉えました。やむなく仕事場に連れて行ったこともありますが、それも職場見学として新しい学びの機会になったと思います。

 

政井マヤ
政井マヤさん

── ホームスクーリングで最も困ったことは何でしたか? 

 

政井さん:仕事がある日の「子どもをひとりにする時間」と「昼食の準備」が大きな課題でした。わが家は夫婦ともに仕事が不規則なため、お互いにカバーし合い、母達や叔母の協力も得ながら乗り越えました。共働き家庭では、特にこの点が難しいと感じます。また、短期的にはこの状況でよいとしても、この先どうなるのか、不登校がいつまで続くのだろう、という出口が見えない不安や心労もありました。

 

── お子さんの不登校を支える中で、ご家族のサポート体制はどのように築かれましたか? 

 

政井さん:夫とは今できることはなにか、今後どうするか、常に話し合って一枚岩になって取り組めたと思います。 私は主に勉強のサポート、夫は散歩や博物館に子どもを連れ出してくれ、キャンプや釣りなどアクティブな役割を担ってくれていました。 また母や叔母が「大丈夫だから、焦らず長い目で見てあげて」といつも私たち親のことも励ましてくれたことにも大いに助けられました。

 

 

不登校の間も家族で子どもをサポートし続けた政井さん。最終的に転校をしたことで子どもは再び学校に足が向くようになったそう。転校には当初、抵抗があったそうですが、「学校が合わなければ子どもが学校を変えることは当たり前」と、海外で暮らす友人たちの言葉があったことで決断できたと言います。

 

PROFILE 政井マヤさん

まさい・まや。1976年生まれ、メキシコ出身、兵庫県育ち。2000年にフジテレビにアナウンサーとして入社。2007年に退社して、現在はフリーアナウンサーとして活動。3人の子どものママ。夫は俳優の前川泰之氏。

取材・文/酒井明子 写真提供/政井マヤ