「できない子」「ダメな子」のレッテルを貼られて
── 幼稚園や小学校など、集団生活で壁にぶつかったことはありますか?
西村さん:幼稚園は、当時住んでいた地方の園に年少(3歳)から入ったのですが、ちょうどそのころに長女が生まれて赤ちゃんがいる状況。息子は毎朝ずっと騒いで抵抗し、赤ちゃんのお世話をしながら園バスに乗せるのがとにかく大変でした。お迎えのときには先生から「動き回って大変でした」「わざと大人を困らせることをして楽しんでいました」といったような報告をよく受けていました。幼稚園の先生から見ると息子は「できない子」「ダメな子」というレッテルを貼られた状態ですよね。
ほかにも「年少クラスの部屋からたびたびいなくなって探したら、年長クラスの部屋に行っちゃってました」と言われたことがあるので「年長さんはそのとき何をしていたのですか?」と聞くと「本を読んでいました」と。それを聞いて、息子にとっては、年少さん向けの絵本より、年長さんクラスの図鑑などに興味があり、おもしろそうに見えていたことに気がつきました。
── 息子さんの行動には理由があったんですね。
西村さん:そうなんです。お遊戯会や運動会といった行事も練習はできるのに本番はみんなと同じようにはできません。いつもと違う環境や人前だととても緊張するタイプだったんですね。でも当時はその場から逃げ出さなかっただけでも成長だとポジティブにとらえたいと私は思いました。でも、当時の園長先生に「息子さん、本当に大変ですね。でも、この子が輝ける場所がきっとどこかにありますよ」と言われたときは、そんなきれいごとのような慰めがほしいんじゃない、と悲しくなってしまいました。
息子の特性をポジティブに受け止めてくれる幼稚園に転園

── 転園なども考えたのでしょうか。
西村さん:日本の幼稚園では否定的にとらえられた息子の行動でしたが、週1回、幼稚園が終わってから通っていたインターナショナルの幼稚園では違いました。インターの先生に息子のことを聞くと、「動き回ることはたしかだけど、先生の話をちゃんと理解して参加できているから大丈夫よ」と言ってくれたんです。同じような行動でも、とらえ方がポジティブなのか、ネガティブなのかという違いは大きいと痛感したわけです。
そして半年後、地方出張期間を終えて私は夫と二人の子を伴って東京へ戻ってきたときに、インターナショナルのプリスクールを何か所も見学して探しました。最終的に決めた園では、面談時にソファーをよじ登ってじっとしていない息子を見て「大丈夫ですよ。こういう子たちをよく見ていますから」と園長先生が言ってくれて、すごくうれしかったのを覚えています。ほかの先生も、できるところ、ポジティブなところをほめて引き出してくれたので、息子の発達もどんどんほかの子に追いついていって、年中・年長の学芸会では主役としてきちんとセリフも言えるまでになっていました。
── 下のお子さん2人の子育てはどうですか?
西村さん:長女はあまり手がかからず、トイレトレーニングもいつの間にかおむつが取れている状態でした。ただ、長女が幼いころは長男に手がかかる時期だったので「私は放っておかれた」という意識があるのか、かなりのママっ子に育ち一時期母子分離が苦手でしたが今はしっかり者で頼っています。末っ子はコロナ禍が始まったころに生まれたので、社会の流れについていくのに必死でした。コロナで乳児健診がなくなったのを見て、小児科医としては「産後のママたちのケアを何とかしないと」と思い、YouTubeで末っ子をモデルにして乳幼児健診の内容を配信しようと思い立ったのです。乳幼児健診は、発達相談の場としても重要で、ママたちの不安を解消できる場でもありますから。それが2020年6月、「ママ友ドクター」としての活動のはじまりでした。