母のつらさを目の当たりにして医師を志した

── ご自身が医師になったきっかけはお姉さんの存在があったからでしょうか?
西村さん:勤務医の父をはじめ、医者が多い家系ではありましたので、患者さんが病気にかかったりケガをしたりしたときに医師の知識があれば治せる、というのは魅力に感じていました。また、姉の診察をする医療従事者を見ていて 「もう少しこうしてくれたら母はつらくないのにな」と思ったこともあり、当事者の気持ちがわかる医者になりたいと思いました。母が大変な姿を見てきたので、それを助けたいと。
── お母さんが大変そうだったのはどういう状況でしょうか?
西村さん:小さいころは走り回ろうがお店で大きな声を出そうが、幼少期特有のものとして受け止められますが、大きくなってくるとそうもいかないですし、制止するのは大変なわけです。姉が思春期のころは、食事をひっくり返すことが続いていたので、食べさせるのも片づけるのもすごく手がかかって、外出もできない状況がありました。
姉が18歳になってからは施設での寮生活が始まり、週末だけ自宅に帰るようになりました。寮でも食事をひっくり返していたようで、鎮静剤を増やされることがよくありました。鎮静剤が多くなると眠くなってしまい、週末に帰省してもイライラして物に当たるという悪循環。そこで母は「眠いと機嫌が悪くなるので鎮静剤を減らしてほしい。食事も割れないお皿に変えて、目の前に汁物を置くなどしないでほしい」と伝えていたのですが、個別の対応はなかなかしてもらえませんでした。
施設の嘱託医も「職員から暴れると聞いているので」と、姉本人を診断することもなく薬を処方していたと聞いて…。20〜30年前の当時はよくあることだったと思いますが、やるせない気持ちになったことが医師を目指した原点かもしれません。