焼き肉を食べながらポロポロ…涙をこぼした姉が忘れられない

── お姉さんは思春期を過ぎると落ち着かれたのですか?
西村さん:はい。10代後半は大変で、家族で外食なんて夢のまた夢、という状況が6年ほど続いたのですが、20代に入ってから行動面などが落ち着いてきました。姉が22歳のころ、そろそろ外食は大丈夫そうだということで近所の焼き肉屋さんに行ったところ、ぽろぽろ涙をこぼしながらすごくおいしそうに食べていたんですね。それを見て、「あぁ、姉も外食したかったんだな」「家族とおいしいものを食べたかったんだな」と思いました。そのときの姉の姿を思い出すと今でも涙が出てきます。だから、重度の自閉症児の家族としていま現在苦しんでいる方たちには、「家族としての気持ちがわかるよ」と伝えたうえで医師としてのアドバイスを送りたいんです。
重度の自閉症の子どもたちのつらいところは、言葉でのやりとりもうまくできず、自分で自分の行動をコントロールできないところ。それ自体ストレスになるのですが、感じるストレスを言葉でうまく表現できないため、乱暴な行動という形で発散するようになってしまう。その行動を見た大人が「この子は言っても理解ができない子」という判断をして、さらに閉鎖的な環境に置かれる、という悪循環なんですね。これは最近、重度の自閉症の方たちがタイピングなどのいろいろな方法で自分の言葉をSNSなどで表現してくれるようになり、だんだんと彼らの思っていたこと、感じていたことや葛藤への理解が広がりだしたところだと思っています。姉も、みんなとお出かけしたかったけれども、それを表現できなかった。その結果、焼き肉店で涙を見せたのではなかったかと思うと心が痛みます。
── 自閉症の本人がいちばんつらいんですね。
西村さん:そうなんです。自閉症の方たちの中で、最も重いタイプの人は言葉が出ないだけで、物事はすごく理解していると信じています。たとえば脳性まひの方であれば、ゆっくりでもしゃべれるから意思疎通はできる。自閉症の人は言葉が不自由なために、自分がわかっている、ということを相手に理解してもらえないことにものすごく苦しんでいるようです。私は姉や患者さんを通して「言葉が話せない最重度の(合併する知的障害が重度の)自閉症の子どもや大人は物事がわかっている」というのを当事者家族の立場では信じていますが、医学的にはまだわかっていない部分もある。だからといって医師がこうした重度の自閉症児を持つ親に対して「お子さんは重い知的障害もあるから、意思の疎通はできませんよ」と言ってしまうと、親もつらいですが、わかってもらえない子どもがいちばんつらいですよね。
医学的な概念が変わるにはまだ時間がかかりますが、重度の自閉症児を持つ親が「うちの子は物事をわかってるんだ」と思うだけで気持ちの持ち方や子どもへの接し方も変わると思います。

── そういったこともあって小児科医になられたんですね。
西村さん:はい。児童精神科と悩んだのですが、医師になってすぐ子どもたちと触れ合いたかったので、小児科を選びました。児童精神科に進んでしまうと、大学を卒業して3年は大人向けの精神科で経験を積む必要があり、私にそんな時間はない、と考え、小児科を選びました。小児科医になってからは、一般的な小児科医の経験を詰みつつ、発達専門外来を新設する機会も得て、発達に特性がある子どもやその親の支援を専門に診察してきました。
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ご自身の長男にも言葉の遅れや多動、といった発達特性が見られ、当初は「私が思っていた子育てと違う」というもどかしさもあったと明かす西村さん。しかし、インターナショナルの幼稚園に通ったことがきっかけで、子どもの捉え方について、自分との違いを痛感させられます。
PROFILE 西村佑美さん
にしむら・ゆみ。1982年宮城県仙台市生まれ。三児の母。最重度自閉症のきょうだい児として育つ。2011年から小児科医として大学病院などに勤務し、発達専門外来を新設するなどしてのべ1万組以上の親子を診察してきた。自身の子にも発達特性があり、医師と言う立場で育児の悩みに寄り添うことに限界を感じ、2020年「ママ友ドクター®」プロジェクトを始動。2024年、一般社団法人 日本小児発達子育て支援協会を設立した。著書に『発達特性に悩んだらはじめに読む本』(Gakken)がある。
取材・文/富田夏子 写真提供/西村佑美