幻聴、幻覚…いないはずの夫の足音が聞こえ

若林優子さん
カフェの移転工事をするため木材を切る若林さん

── お店も何とかしなくちゃいけない状態のときに、それはつらいですね。

 

若林さん:そうなんです。精神的にも相当追い詰められたのか、幻覚や幻聴の症状が現れ、いないはずの夫が帰ってきた足音が聞こえたり、いるように見えたり…。精神科に通院して安定剤を処方してもらうようになりました。私の場合はその安定剤が効いて、徐々に穏やかな気持ちになり、前向きにがんばっていこうと思えるようになったんです。

 

── その後、レストランの経営はどのように持ち直したのですか?

 

若林さん:経営が苦しい間、自分なりに勉強して、経費を見直すことにしました。シェフに任せていた調理は自分ですることに。あとはお店の規模が大きくて固定費がかかったので、もう少し狭い場所に移転しました。新たな場所で、自分がお店全体を見られる範囲の規模で、オーナーシェフとして再出発したんです。店舗は子どもたちや知人にも手伝ってもらいながら手づくりして、カフェ「トンネルをぬけると…たまりば」をオープンさせました。

 

── 経営が厳しい状況でしたが、離婚したご主人から養育費などの支払いはあったのでしょうか?

 

若林さん:離婚するときは、「養育費も家のローンも払う」と好条件を並べていたのですが、養育費の支払いがすぐに遅れはじめ、1年ほどで止まってしまいました。住宅ローンは差し押さえ通知が来て初めて払っていなかったことを知りました。ショックでしたが、元夫に払う意思がなく、請求したところで払ってもらうまでの労力が大変だし、もう自分で稼ぐしかないと覚悟しました。住居は、アパートに引っ越すことも考えましたが、今まで一生懸命ローンを払ってきたし、子どもたちに自分の家を残したいと思ったので、自分で買い取ってローンを払い続けました。

 

そのときに、「一家の大黒柱」と呼ばれる存在がどれだけ大変なのかを思い知りました。子どもを3人育てられるだけのお金を稼いでくるのって、すごいことだと身に染みたんです。若くして結婚したので、旦那さんが稼いで帰ってくるのが当たり前のように思っていたのですが、簡単なことじゃなかったというのは身をもって知りました。