夢が叶った瞬間に離婚を突然、切り出され

若林優子さんのお子さんたち
移転したカフェの内装はDIYで。店のロゴも子どもたちと手作りした

── 子どもが増えるとお金が必要になるなか、仕事を辞めたのはどうしてですか?

 

若林さん:だんだん夫の給料が増えたこともあり、生活費の足しにした残りはほとんど貯金できるようになりました。いつか自分で店を持ちたいという夢があったので、そのためにコツコツとお金を貯めていたんです。といっても、どんなお店をやりたいか、まったくプランがなくて漠然としていたので、周囲に「何か自分のお店をやりたいんだ」ということだけ言っていました。

 

末の娘を産んで半年が経ったころ、知り合いから「飲食店のオーナーを探しているから、店がやりたいんだったらどう?」と打診されました。店舗は家から車で2~3分の立地でしたし、いいタイミングだと思ってOKしたら、そこからは話がとんとん拍子で進みました。「子連れで行ける」のがコンセプトのバイキングレストランで、当時まだそういったお店は珍しかったですし、子ども好きな自分にぴったりのお店が経営できるなんて、これは運命だと思ったんです。

 

── 3人目を出産して仕事を辞め、自分のお店を持ちたいタイミングでのお話だったんですね。

 

若林さん:とはいえ、当時まだ若かったですし、勢いだけで突き進んだので大変でした。調理はアルバイト経験がありそれなりにできたのですが、最初はやはり心配でシェフを雇いました。そうやって人を雇うにしても何にしてもノウハウがなかったので、周囲からは「素人が経営に手を出して、絶対にお店を潰すわ」と言われていました。たしかに1年目は珍しさもあってそれなりに来客がありましたが、2年目、3年目となると経営の手腕が問われます。正直、かなり苦戦しました。

 

しかも、レストランを経営し始めて1年後には夫と離婚することになり、私生活もどん底に陥りました。お店の経営が立ちゆかないし、これからの生活も先行き不安だし。数少ない経営者の知り合いに相談しました。そこで言われたのは「ここで辞めたら終わりだよね」という言葉。「ここで辞めて正社員かパートで働くのか、何とかお店を続けるかは自分次第だよ」と。その言葉で腹をくくってお店を続けることにし、がむしゃらに突き進んできました。

 

── お店を始めたことと離婚は関連しているのですか?

 

若林さん:そこは直接関係なくて、本当に予期せぬ離婚話を夫から突然されたんです。長男15歳、次男5歳、長女3歳のときです。夫もそのころは自分の会社を持っていたのですが、仕事が軌道にのりお金と時間ができてきて、家庭の外に目が向いたというところでしょうか。見栄っぱりで家の外にお金を使うタイプの人ではありましたが、私のほうはまったく予想してなかった離婚話でした。