パチンコ屋の「コーヒーレディ」の仕事に出合い

── 月収12万円ほどでお子さんも育てるとなると、家計は苦しかったそうですね。
若林さん:そうですね。なので、息子が1歳半になったころにパートに出ることにしました。パートの内容は、パチンコ屋でコーヒーを売る「コーヒーレディ」。パチンコをしているお客様にコーヒーや軽食などを提供する仕事です。野球場のビールの売り子さんや、新幹線のワゴンサービスのようなイメージが近いでしょうか。当時はまだ「コーヒーレディ」ができたばかりで、珍しい職業でした。時給のよさに惹かれて始めてみたら、私に合っていたのか楽しくて結局13年も続けました。
── どのあたりが楽しかったのでしょうか?
若林さん:ただコーヒーを売るだけではなく、相手の好みに合わせてコーヒーを選ぶのが楽しかったんです。ちょっとしたことなんですけど、この方はブラック、この方は砂糖だけ、といったお客様の好みを覚えてその方のところに持っていくと、すごく喜ばれたのがうれしくて。お客様は高齢者が多くて、みなさんがやさしくしてくれたので居心地がよかったですね。
── 接客業が向いていた、ということですか?
若林さん:接客というより、人を喜ばせることが好きなんです。人の好みを覚える、ドリンクをほしそうなタイミングを見計らって持っていくなど、「こうしたら喜んでくれる」ということを考えて実際に喜んでもらえるのが自分の喜びに。
当時働いていたパチンコ屋には、常時3~4人のコーヒーレディがいたのですが、お客さんから指名ができたんですね。指名が多くなってある程度ノルマをクリアすると給料が増えましたし、それがまたモチベーションアップにつながりました。パチンコ屋の隣にレストランがあり、コーヒーレディをしながら調理のアルバイトもしていました。
── その後、次男と長女を出産されます。
若林さん:長男を産んで10年後、コーヒーレディとして働いている間に次男が生まれ、1年間休んだ後に復帰しました。1年働いて長女が生まれたので、そのときにコーヒーレディの仕事は辞めました。