つらい顔、悲しい顔を見せなかった長男を見て…

── 当時、お子さんたちの様子はどうだったのですか?
若林さん:子どもたちの前だけはつらい顔、悲しい顔を絶対に見せないように自分に言い聞かせていました。どうしたら父親がいなくても楽しく過ごしてくれるだろうということを考えて、時間が空けば遊びに連れていくようにしましたし、普段の晩ごはんもホットプレートを持ち出して「みんなでつくろう!」と盛り上げるなど、楽しんでくれることを常に考えて過ごしていました。
長男は当時高校1年生で、すごく頼りになりました。アルバイトをして家計を助けてくれたり、私がレストランの経営で忙しいときは下の子たちをお風呂に入れて寝かしつけしてくれたり、父親代わりのようなことをしてくれました。あのとき長男がいなかったら、乗りきれなかったと本当に感謝しています。
── 父親が突然いなくなって寂しかったのではないでしょうか。
若林さん:それが、絶対に寂しいはずなのに、そんな様子を見せなかったんですよ。「寂しい、つらい、大変」という言葉を言わない子で、長男の姿を見て私は元気づけられました。私も子どもたちの前では暗い表情で過ごしてはダメだなというのは、長男に教えられました。
── 起業と経営難、離婚、シングルマザーとしての子育てなど、大変なことが一気に押し寄せてきたんですね。
若林さん:大変は大変だったんですけど、その時期を乗り越えてきた経験がないと、いま子育て支援をしていないと思うんです。そういう意味では人生の転機でした。周囲の方たちが声をかけてくれたり、話を聞いてくれたり、食べ物や洋服を持ってきてくださったりして支えてくださった、あのときの優しさ、温かさが忘れられなくて。その方たちのように、困っている人に優しくなれる人でありたいな、と思ったのが「こども食堂」を立ち上げた原点なんです。つらいときの支えになるのはお金やものだけじゃなくて、人の優しさがすごく大きいんだと知り、今度は自分が支える立場になりたいと考えました。
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自身の経験を踏まえて経営するレストランで若林さんが「こども食堂」をスタートしたのが8年前の2017年。今でこそ、タレントのはるな愛さんも支援し、年間4000世帯の支援をするまでになりましたが、当初は月に2回カレーライスを5食出すのがやっと。周囲の理解は、なかなか得られなかったそうです。
PROFILE 若林優子さん
わかばやし・ゆうこ。1979年大分県生まれ。1999年に結婚し、働きながら3人の子どもを育てる。2013年からレストランの経営を始め、その後離婚。当時に受けた周囲の優しさを今度は自分が返したいと、2017年NPO法人「子育て応援レストラン」を設立。こども食堂の活動から開始し、協力企業が増えた現在では年間4,000世帯にお弁当や食材、日用品などを支援している。
取材・文/富田夏子 写真提供/若林優子