無菌室での孤独な1か月

── 信頼できる主治医にめぐりあえてよかったですね。治療はどのように進みましたか?

 

えみりィーさん:最初は定期的に通院し、血液の数値が安定してから、自分の末梢血管細胞をとって、がんを全部死滅させた後に健康な細胞を身体に戻す「自家移植」を行いました。この自家移植は、1か月間、入院して無菌室で行われました。無菌室ではベッドと室内のトイレを往復するくらいしかできず、その間は誰とも会話せず、家族にも会えなくて孤独でした。楽しみは体調のいいときに家族とテレビ電話をすること。大量の抗がん剤を使ったので副作用が出て、脱毛や食欲不振も起きました。免疫力が低下するので、生ものが食べられないなど、食事制限もありましたね。

 

いろんな人がくれた「がん切りお守り」

── 副作用は苦しいと聞きます。家族とテレビ電話以外は、どのようなことを?

 

えみりィーさん:ブログを書いたり、いろんな方からのコメントに返事をしました。私が入院したころは病院にまだWi-Fiがついていなかったので、ポケットWi-Fiを持ち込んで映画を観ました。食欲が戻るかもしれないと考え、大食いYouTuberの動画も見ましたね。お腹は空いても、実際に食べ物を前に匂いをかぐと、ムカムカして食べられない状態でした。それでも、私の場合はまだ副作用がマシなほうだと思います。口内炎ができて、水すら飲めない人もいるようで、私はまだなんとか食べることはできましたから。

 

── 無菌室にいる間、気持ちはどのように変化しましたか?

 

えみりィーさん:自分が出演していたテレビ番組を見ながら、自分がいなくても問題なく進んでいる様子に、「私が戻る場所はあるのだろうか」とマイナスに考えてしまうことがありました。社会に取り残されているような気がして不安になり、友だちによく電話やLINEをしていました。

 

髪が抜けたのがいちばんつらかったですね。でも、がんサバイバーの人たちに教えてもらったウィッグのウェブサイトを見て、退院したらどんなウィッグにしようかなとネットショッピングするのを、自分の楽しみにしていました。

 

── 退院が近づいたときは、「ようやく孤独からも開放される」という気持ちで、さぞうれしかったでしょうね。

 

えみりィーさん: それが自家移植後、血小板の数値が上がらなくて、予断を許さない状態でした。「ここまでいけば退院できる」という数値があったのですが、2回輸血をしても上がらず。「まだですか?」と不安になりましたが、5回の輸血でようやく数値が上がり、退院が見えてきました。血小板の数値が戻らないと出血しやすくなり、とくに髪がない状態で頭を打つと脳内出血の可能性があるので、血小板数値はちゃんと上げなければならなかったんです。それでも、1か月で退院できたので順調なほうだと思います。

 

── 自家移植後の経過はいかがですか?

 

えみりィーさん:最近まで、月1回通院して6時間くらいかけて抗がん剤を点滴していました。その日は点滴しながらごはんを食べるなど、丸一日つぶれます。でも、いまは     医学の進歩に月1回注射1本で、同じ治療効果を得られるようになりました。注入量が多く、5分かけてお腹に打ちます。ただ、仕事の調整もしやすくだいぶ助かっています。

 

── 2020年1月に自家移植を行ってから、5年近くたちます。いまも抗がん剤治療が続いているのですね。

 

えみりィーさん:現在の医療では完治しない病気なので、抗がん剤の投与は継続する必要があります。でも、担当医が「このがんは、とても注目されていて、技術的にも進歩がありえるものだから、いずれは完治する病気になると思う。それまでがんばりましょう」と言ってくださいました。実際に、点滴から注射になりましたし、この取材の前に抗がん剤注射を打ってきましたが、こうしてふだん通り元気に過ごせています。

 

テレビに出ている私をご覧になっている視聴者は、私が完治したと思ってらっしゃるでしょうね。「5年も経ったから大丈夫なんでしょう?」「大変だったね、きつかったね」と言われるので、「まだ抗がん剤は続けています」と答えると、「そんな感じには見えない」「以前とまったく変わらない」と皆さん言ってくださいます。治療しながらの仕事は難しいと考える方もいるかもしれませんが、抗がん剤を打ちながらも、しっかり仕事を続けられることをお伝えしていこうと思います。

 

 

えみりィーさんの退院を後押ししたのは、夫と当時まだ幼かった3人の子どもたち。がんを打ち明けると幼いながらに自分なりの考えを持ち、母を力強くサポートしたこともえみりィーさんにとっては救いになったようです。

 

PROFILE えみりィーさん

熊本県・福岡県を中心に活躍するタレントで、3人の子どもを育てるママ。2019年6月に「多発性骨髄腫(血液のがん)」と診断を受け、翌年1月に自家末梢血幹細胞移植。出身地・芦北町の「あしきた親善大使」としても活動中。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/えみりィー