バラエティ番組『恋のから騒ぎ』での活躍を機に芸能界デビューを果たした西方凌さんは、木村祐一さんが初監督を務めた映画に出演したことがきっかけで、交際を始めました。4度目の結婚をためらう木村さんにかけた言葉や、体外授精でお子さんを授かるまでの道のりを伺いました。(全4回中の2回)
キム兄初監督の映画に出演「芸名も彼が考えて」
── 上京して数年後、のちにご主人となる木村祐一さんが初監督を務めた『ニセ札』で俳優デビューされました。木村さんとの出会いについて聞かせてください。
西方さん:左官屋を辞めて上京してから、4年間ぐらいバイトで食べつないでいたのですが、父を突然亡くした母の気を紛らわせるために「から騒ぎ」に応募したり芸能活動を始めたりしていたので、結局、自分がこの世界で何をしたいのかがわからなかったんです。モデルの仕事をしたり、アイドルとフットサルチームを組んだりしたものの、そんな甘い世界ではないし年齢も上のほうだったので、何をしてもパッとせず。
そんななか、PV出演のオーディションを受けて何度か出させていただいているうちに「演技をやってみたい」と思うようになり、ちょうどそのタイミングで、友だちから「木村さんの誕生日会があるから行かない?」と誘われたんです。いつもはバイトが忙しくて誰かの誕生日会に行ける状況ではなかったのですが、1か月くらい前に「絶対見てもらったほうがいいよ」と勧められて行ったスピリチュアルの先生から「今悩んでいることあるでしょう。その悩みを解決したければ、今やっている時間を取られることをやめなさい」と言われて。あまり信じるタイプでもないのですが、やってみるだけやってみようかなとバイトを抑えたばかりだったので、行くことができました。
誕生日会では、たまたま彼(木村祐一さん)の隣に友だちが座っていたので、私も会話をすることができて。「仕事は何してるん?」と聞かれて「いろいろとしてたんですけど、最近は演技をやってみたいと思っているんです」と返答したら、「ちょうど今、映画を初めて撮ろうとしてて、ある役に無名の女優さんを使いたいと思ってる。オーディションを受けてみないか」と言ってくれて。最初は、そういう手口で狙ってるんでしょ?なんて思っていたのですが(笑)、本当に後日オーディションの話を事務所にくれて、出演の機会を得ることになりました。
──「凌」というお名前も、木村さんが名づけられたんですよね。
西方さん:そうです。女優としてスタートする初めての作品だったので、芸名も考えてもらうという話になって。「凌ぐ」という漢字なので、「しのぎを削っていい女優さんになっていってほしいという意味を込めた」と言っていました。
厳しかった監督に惚れて「私から4回プロポーズ」
── 映画に出演するなかで、いつごろ恋愛に発展したのでしょうか?
西方さん:監督として、彼は私には特に厳しかったんですよ。のちに聞くと、その厳しさは無名で突然、抜擢された私が「監督のひいきではない」ということを示すための配慮だったようなのですが、当時は背景を知らなかったので、現場で怒鳴られて毎晩のようにホテルでひとりで泣くということを繰り返していました。嫌いではなかったけれど、好きになるわけがない状況でした。
ただ、ほかの俳優さんと一緒に食事へ連れて行ってくれたときに、彼が「いろいろな女優さんがいるけど、10人が見てたら10人を惚れさせるような女優さんになってほしいよ」と話してくれて。「あー、そこまで考えきれてなかったな。みんなを魅了する人になろう」と気持ちを新たにして、その後も厳しい撮影現場を重ねたんですね。いよいよ私にとって最後のシーンを撮るというときに、監督が「ちょっと待って!」と現場を止めて。むこうからこちらへ歩いてきたので、また注意されるのかなと思った次の瞬間、彼が耳元で「あとひとりやぞ」とささやいたんです。そのときに、今まで厳しかったことの意味がすべて理解できて、惚れました(笑)。
ところが、その後も彼は監督業で忙しい日々。当然連絡も来ないので、なんとかこちらからのメールで繋ぎつつ、時間を作ってもらってふたりで食事に行ったりしていました。そんなふうにだんだんと打ち解けていった数か月後、彼が家の合鍵を渡してくれたんです。その合鍵をあえて受け取らなかったことが彼の心をくすぐったみたいで、おつき合いをすることになりました。そこに至るまで1度も手を出されなかったことも、真面目で紳士的だなあと好印象でしたね。
── 木村さんにとって4度目となる結婚までの経緯も教えてください。
西方さん:私から「結婚したい」と計4回伝えました。冗談であしらわれることが3回続いたので、4回目のプロポーズのときに「なんでダメなの?子どもは作らなくてもいいよ。今までの離婚原因が何だったのか、ひとつひとつ解いていこうよ」と言って、話を聞いてみたんです。すると、自分が相手を幸せにしてあげなきゃという責任感がプレッシャーだったということだったので、「あなたに最初から幸せにしてもらおうと思ってないから大丈夫だよ。私が幸せにしてあげたいので」と伝えたところ、翌日オッケーをもらえました。