24歳で引退、決断を迷った出産

大友愛
ワンピースの間からスラっと伸びた足がきれい

── 2006年には結婚して24歳で長女の美空さんを出産。このタイミングで現役を引退されています。女性アスリートにとって出産のタイミングと決断は悩ましいところだったのでは。

 

大友さん:日本女子バレーの未来を考えるのであれば、許されないことだろうなとわかっていました。本当ならここから自分が中心選手になって頑張るべき時期だったのに、そのタイミングで突然、引退するわけですから。でも、その前年に母と祖父を立て続けに亡くしていたこともあって、授かった命を諦めることはどうしてもできなかった。

 

── 24歳で美空さんを出産。その2年後にはシングルマザーとして周囲の助けを借りながら現役復帰を果たしています。幼い娘さんを育てながら、アスリートとして第一線に戻るのは相当大変だったはずです。

 

大友さん:美空の幼少期のことを思い出すといつも申し訳ない気持ちになります。私がバレーの世界に戻って忙しくなったせいで、実家に預けていた時期もありましたし、親らしいことをしてあげる余裕もなかった。練習場に連れていくこともしょっちゅうありました。復帰翌年には日本代表に選出され、世界選手権で銅メダルも取れてと、はたから見ればきれいな復活劇だと思われていたかもしれません。でも「あのとき引退せずに続けていれば、もっと上まで行けたかもしれない」という後悔はくすぶっていましたし、美空への罪悪感も長いあいだ消えずにいました。

 

── そのときの後悔や罪悪感は、今も続いているのでしょうか。

 

大友さん:いえ、この3、4年でようやく気持ちに整理がついたところです。たまたま親子で昔のことを話していたときに、美空が「小さいころにママが練習場でバレーを頑張っている姿を見られたのはよかった」と、当時の気持ちを伝えてくれたんですね。私としては申し訳なく思っていたけど、美空は違う感じ方をしていた。その言葉に心が救われました。

 

── 美空さんがバレー選手として歩み始めたのも、お母さんのかっこいい姿がきっと記憶に残ったからだと思います。

 

大友さん:そうだったらすごく嬉しいですね。あのとき美空を産む決断をしたことも、諦めずに現役に復帰したことも、今なら「この選択でよかったんだ」と心から思えるようになりました。

 

PROFILE 大友愛さん

おおとも・あい。1982年、宮城県出身。中学からバレーを始め、高校3年時には世界ユース選手権で優勝。2000年、NECレッドロケッツに入団し、翌年には全日本代表に初選出される。04年、アテネ五輪に出場。結婚、長女の出産を経て08年に復帰。ロンドン五輪で銅メダルを獲得。現在は4児の母。

 

取材・文/阿部花恵 写真提供/大友愛 撮影・衣装協力/(株)ATEYAKA