疎遠になってしまった辻口シェフと10年振りに再会すると…
── 店を離れる決断をしたとき、苦楽をともにしてきた辻口シェフは悲しんだのでは?
安食さん:辻口さんとしては、“もう離れていくのか”という感じだったみたい。その後、10年近く音信不通になりました。「デフェール」時代はパティシエブームの波がきて、毎月のように雑誌の取材がありました。世界コンクール優勝の肩書きが注目される大きなポイントだったと思います。よく知り合いから「本屋に行くといつも安食が載ってる」と言われましたね(笑)。
その間、辻口さんとは連絡を取っていなかったけれど、お互いずっと気にはしていて。業者さんから「辻口さんがしょっちゅう安食さんのこと聞いてくるんです」なんて言われました(笑)。あるとき、業者さんが間に入って、食事会を設定してくれたんです。10年振りの再会ですよ。でも、昔の関係に戻るのに1分もかからなかったですね。「あのとき、ああだったよな」なんて、ゲラゲラ笑って。なんだ、早く会えばよかったじゃんって話ですよね(笑)。
── 会って見たら、すぐ仲良しになれる関係は素敵ですね。ところで、2010年、北山田(横浜市)に「SWEETS garden YUJI AJIKI」をオープンしました。この地を選んだ理由は?
安食さん:僕自身、近隣の港北ニュータウンで25年暮らして、3人の子どもを育ててきました。なので町のことはよくわかっていて、ここならいけるという感覚がありました。この地域は、食はもちろん、いろいろなものに対して感度の高い方が多い。だからこそ本物を届けないといけない。都内でも勝負できるようなクオリティの高いものを出していけば、必ずお客さんは反応してくれる。そうした確信がありました。
── バースデーケーキは1日数百台の注文が殺到し、名物「安食ロール」はつねに完売。店は開店前から行列ができ、遠方からもファンが足を運びます。人気の理由を、シェフ自身はどう考えますか?
安食さん:自分の味覚のバランスを素直に表現して、それが多くのお客様に受け入れていただいている気がします。ぼく自身、フランスで長く修行した経験がないので、それが逆に日本人の味覚にとってよかったのかもしれません。フランスの味覚にとらわれず、日本人にとって広く親しみやすい洋菓子ができた。音楽でいうとジャズのようにある一定の方が好むものではなく、ポップスのようにみんなが心地いいと思えるものでしょうか。
結局は自分の味覚を信じるしかない。ロールケーキやバースデーケーキもそう。修業時代からこだわり続け、独自のスポンジの理論を確立してきた。いまあるケーキはこれまでの集大成です。自分がおいしいと思うものを作り、お客様にも同じように感じてもらえること。それは本当に幸せなことで、それがすべてなのかなって思っています。
PROFILE 安食雄二さん
あじき・ゆうじ。1967年生まれ、東京都東村山市出身。武蔵野調理師専門学校卒業後、「ら・利す帆ん洋菓子店」入店。「鴫立亭」、横浜ロイヤルパークホテル オープニング製菓主任、「モンサンクレール」オープニングスーシェフを経て、「デフェール」シェフパティシエを務める。1996年グランプリインターナショナル・マンダリンナポレオンコンクール(世界大会)日本人初優勝。2010年、北山田に「SWEETS garden YUJI AJIKI」をオープン。
取材・文/小野寺悦子 画像提供/SWEETS garden YUJI AJIKI