コンビ結成で事務所に入所も半年で解散になり
── ADを辞めた後は何をしていたのですか?
ステテコさん:コールセンターのバイトを2~3年やりました。でもおもしろくなくて。毎日「つまんないな〜」と思いながら仕事をするなかで、大川興業さんのワークショップをたまたま発見したんです。募集要項に「お笑いがやりたい人、お芝居がやりたい人、とにかく何か楽しいことがやりたい人」と書かれていたので、すぐに応募しました。
── ワークショップはどうでしたか?
ステテコさん:めちゃくちゃ楽しかったです!即興コントやお芝居をやったんですが、みなさんのコントもお芝居もおもしろかったですし、私の番でもみんなが笑ってくれて、本当にうれしかったですね。その後すぐに、雑誌でワタナベエンターテインメントのコメディスクール第1期生を募集していると知ったので、そちらに通うことにしました。
── このころから、「芸人になろう」という気持ちが固まっていたのですか?
ステテコさん:いいえ、そんなこともありませんでした。当時はまだ若かったですし、「楽しそうだからやってみよう」という、なんとなくの気持ちで始めました。このとき、養成所で出会った女性とコンビを組んで、卒業後にいまの事務所(浅井企画)に入ったのですが、半年後くらいに相方が実家の家業を継ぐことになったので解散しました。コンビの場合、解散するといままでやってきたことがゼロになるんだと思って、それがもどかしくてピンになりました。
ピン芸人になるも「R-1グランプリはいつも2回戦落ち〜」
── ピン芸人に転向後、変化はありましたか?
ステテコさん:とにかく大変でした(苦笑)。ピンネタの作り方がわからないままスタートしたので、すべてが手探り状態です。いろいろあって、今のような漫談とコントが混ざったようなネタができたのですが、なかなかウケなくて…。『R-1グランプリ』にも参加していましたが、毎年2回戦で落ちるので、私は賞レースには向いていないんだなと、予選に落ちるたびに落ち込んでいました。
── ピン芸人への転向後、落ち込みながらも続けられた理由は何ですか?
ステテコさん:当たり前なんですが、賞レースで勝てるのはひとりだけで、それ以外は全員落ちるんですよね。同じような芸人はたくさんいるんだから、また頑張ろうと思えたことと、定期的に深夜番組に呼んでもらえていたからですね。じつは『イツザイ(ITSUZAI)』(テレビ東京系)や『ぐるナイ おもしろ荘』(日本テレビ系)などにも出させていただいたことがあります。
このころ、『R-1グランプリ』では毎年2回戦で落ちるし、ライブでめちゃくちゃウケるわけでもないし、そもそも私よりもおもしろい芸人さんは山ほどいるし、このまま芸人を続けていていいのかなと悩むこともありました。でも、テレビの収録の呼ばれるたびに「まだ芸人を続けていてもいいんだ」と思えたんで、完全にモチベーションがなくなることはありませんでした。
PROFILE 牧野ステテコさん
まきの・すててこ。富山県出身。大学卒業後に、テレビ番組の制作会社へ入社。ADを経て芸人に転身。一度見たら忘れられない圧倒的なビジュアルが武器。アクティブな性格でアウトドア派、登山とロードバイクが一番の趣味。かもめんたる槙尾さんが経営する「三軒茶屋カリガリ マキオカリー」でアルバイト中。
取材・文/安倍川モチ子 写真提供/牧野ステテコ(浅井企画)