1回見たら忘れない!インパクトのある芸と表情で、ブレイクを果たした牧野ステテコさん。じつは芸人を目指したのは、就職してから3年ほど経ってから。20代にしてキャリアチェンジを決断した牧野さんの人生に迫ります。(全3回中の1回)

就職先の仕事はみのもんたさんへのお水出し

制作会社に勤めていた当時の牧野ステテコさん
制作会社に勤めていた当時の牧野ステテコさん

──『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ系)などの人気バラエティ番組で、よく拝見しています。イジられキャラというイメージが強いのですが、子どものころからお笑い担当だったのでしょうか?

 

ステテコさん:どちらかといえば、そうですね。高校時代はバレーボール部に入っていたのですが、イジられることが多かったです。

 

── そのころから、芸人さんを目指していたのですか?

 

ステテコさん:いえ、芸人になろうとは思ってませんでした。将来のことを真面目に考えるタイプではなく、大学時代もぼーっと過ごしていて、友人が就活で忙しくしているときも、「将来、どうしようかな~」と思うばかり。そんなときに、ラクロス部の1学年上の先輩がテレビ番組のアシスタントディレクター(AD)として働いていると聞きました。昔からテレビが好きで、バラエティ番組やドラマをよく見ていたので、私もテレビ番組の制作会社に入ることにしました。

 

制作会社に勤めていた当時の牧野ステテコさん
AD時代の牧野さん

── AD時代は、どんな番組を担当していたのですか?

 

ステテコさん:『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)です。クイズの資料集めや司会を務めるみのもんたさんへのお水出しといった撮影現場の仕事や編集班の仕事です。次第に編集の仕事が増えていき、一日中、編集室にこもる生活を送るようになりました。

 

もともと体を動かしていたい性格なのに、暗い編集室からほぼ外に出られなくて、放送直前になると会社に泊まることもあって…。平日は朝から晩まで仕事をして、週末は家事をして寝るだけという生活を繰り返しているうちに頭がずーっとぼんやりするように。元気がなくなっていって、ある日、突然「このままではマズい!」と思って。働きだして半年くらいが経ったころに、飛んでしまいました。当時の会社の人たちには、本当に迷惑をかけてしまったと反省しています。