二世帯同居していた母がある日、突然、要介護になったという新田恵利さん。心の準備も知識もないまま始まった介護生活。当初はきょうだいの中でも負担が大きく、不満に感じることも少なくありませんでした。(全5回中の5回)

腰の圧迫骨折で2週間入院、そこから始まった

新田恵利

── 2014年から6年半にわたり、お母さまを在宅で介護されました。骨折がきっかけだったそうですね。

 

新田さん:二世帯住宅で同居していた母が、85歳のときに腰の圧迫骨折で2週間ほど入院したんです。それまでも何度か同じ症状で入院したことがあったのですが、普通に歩くことができていましたし、階段の上り下りもしていました。ところが、退院するときにはじめて母が立てない、歩けない状態になっていると知りました。寝たきりになり、ひとりでトイレに行くこともできない母をどう支えればいいのか。心の準備も知識もなにもないまま、突然介護が始まりました。まさに、青天の霹靂でしたね。

 

── 介護は主に新田さんが担当されていたのですか?

 

新田さん:在宅介護をきっかけに、独身の兄が母の居住スペースに越してきてくれたので、ふたりで交互に母の面倒をみることに。最初の1~2年は、目の前のやるべきことをこなすだけで精一杯。要介護4の寝たきり状態だったので、夜はオムツが必須です。姪っ子や甥っ子のオムツは替えたことがあっても、大人では未経験です。ケアマネジャーさんにやり方を教わりながら、一つひとつ手探りで進めていきました。訪問リハビリのおかげで、その1年後には介護レベルが要介護4から3になり、自力でベッドから車椅子に移ってトイレに行くことができるようになったんです。そこからは、だいぶラクになりましたね。

 

── スタートの段階から、お兄さんとの協力体制をつくられたのは素晴らしいですね。親の介護をめぐって、兄弟姉妹間でトラブルになるケースは少なくありません。なぜ新田さんはスムーズな連携ができたのでしょう?

 

新田さん:うちは兄と姉がいるのですが、実を言うと介護が始まるまでは、協力ができていなかったんです。母と同居していることもあって、母の世話や愚痴を聞くのは私、経済的な負担も私が一番大きかった。正直、不公平だと感じ、かなりストレスが溜まっていました。でも、母の介護が始まったことで、兄が「自分が面倒を見るよ」と言いだしてくれたんです。そこで、メインでお世話をするのは兄、私はそのサポートと医療費などの金銭的な負担という形で役割分担を決めました。

 

兄は身体が大きいので、車いすを押したり、母の身体を支えたりと、力が必要な場面にうってつけ。母も安心して身を任せていました。役割分担が出来あがったことで、ひとりで抱えるストレスがなくなり、精神的な負担が減ったんです。姉はもともと家が離れているし、持病もあって介護には参加できないため、兄と「ふたりで協力していこう」と話し合いました。

 

うちの兄は、とても心根が優しく穏やかな性格。人の悪口なんて一度も聞いたことがないくらいです。昔から彼氏ができると必ず家族に紹介してきたのですが、兄はどんな相手でも「いい人だね」と言ってくれ、絶対にけなしたりしませんでした。もちろん夫のことも大好きで、彼が病気になったときには、ものすごく心配してくれました。