兄と母がハイタッチ「ちょっと引きましたけど(笑)」

新田恵利と夫
旦那さんと

── 素敵なお兄さまですね。

 

新田さん:寡黙な人なので、母との会話はそんなに多くないのですが、うちの母は、人の3倍くらいしゃべるので、むしろちょうどよかったみたいです。私の場合、ずっとしゃべり倒す母に対し、「そんなこと言ってもしょうがないじゃない」とか「その話、前にも聞いたよ」「おもしろくない」など、真正面から受け止めてしまい、ケンカになることも。でも兄は、母の話に、“うんうん”と適当にあいづちを打ちつつ、右から左へと聞き流しているので(笑)。母からすれば、さえぎられることなく、しゃべりたいだけしゃべることができて大満足だったみたいです。

 

── 寡黙な男性とおしゃべりな母親、たしかに相性がいいかもしれません(笑)。

 

新田さん:母がいないときに、「母ちゃん、よくしゃべってるよ」と笑ってましたけれど、介護の不満は聞いたことがないです。ただ、兄は自分の気持ちをあまり表現しないタイプなので、実際にストレスを抱えていたかどうか、正直わかりません。

 

兄にも息抜きが必要だとは思っていたので、「今日は遅くなるよ」と言われたら、いっさい詮索はせず、「わかった。じゃあ、私がママをみるね」とバトンタッチ。これが夫なら「どこ行くの?」「何時に帰る?」と質問攻めするところですけれど(笑)。兄とは程よい距離感を保つようにしていたのが、よかったのかもしれません。

 

兄が介護に参加したことで、母との絆も深まったように感じます。口数がとても少ないので、以前は、会話もあまりないふたりでしたが、介護が始まり、母が兄を頼るようになったんです。あるとき、仕事に出かける兄と母が「行ってくるよ」とハイタッチをしている光景を見て、ビックリしました。なんだかすごく微笑ましくて、声をかけずに立ち去りましたね。

 

── ハイタッチ!心が温かくなるような光景ですね。

 

新田さん:兄は母のことが本当に大好きだったんだと思います。母が亡くなった後、葬儀屋さんと話をしていた兄が、母の写真を見せながら「ね?うちの母ちゃん綺麗でしょう」って、しみじみ言っていたんです。さすがにちょっと引きましたけど(笑)、兄にとって、介護は幸せな時間だったんだなと思いました。私も、介護を頑張りきることができたのは、兄と協力してひとりで抱え込まずに済んだことが大きかったと思います。

 

PROFILE 新田恵利さん

にった・えり。1968年生まれ。埼玉県出身。1985年、「おニャン子クラブ」の会員番号4番としてデビューし、人気者に。1986年、「冬のオペラグラス」でソロデビュー。著書に、『悔いなし介護』(主婦の友社)など。2023年、淑徳大学総合福祉学部の客員教授に就任。介護についての講演活動も精力的に行っている。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/新田恵利