約6年半母親の介護を行った新田恵利さん。生前母が語った言葉から、死装束としてウエディングドレスを縫っていたそうですが、そこにはある後悔が残ったと明かしてくれました。(全5回中の3回)
死装束を縫って
── 2014年から約6年半のお母さまの介護をされた後、2021年3月に永眠されました。お母さまの死装束は新田さんが縫ったそうですね。
新田さん:そうなんです。寝たきりになる10年くらい前だったかな。母と一緒にテレビを観ていたときに、たまたま番組で「死装束」について取り上げていたんです。私が「ママ、最期これ着るの?」と聞いたら、「いやよ、こんなの」と。「じゃあ、どんなのがいいの?」とたずねたら、しばらく考えて「ウエディングドレスがいいな」と、ポロっと言ったんです。そのときはまだ元気だったので、「わかった。じゃあ買っておくね」なんて軽い感じで聞き流していました。
母はもともと現実主義というか、「花より団子」派で、私が昔、おニャン子クラブでアイドルだったころ、毎日たくさんお花をいただくのを見て「花じゃなくて、ほうれんそうの方がよかった!」というくらい(笑)。寝たきりになったときに、夫が母にかわいいピンク色の毛布を買ってきたんです。最初にそれを見て、「うちの母がそんなラブリーな毛布なんて使うかな…」と思ったのですが、母は「かわいい、かわいい」と大喜び。無邪気にはしゃぐ母を見て、そういえば「死装束はウェディングドレスがいい」と言っていたことを思い出したんです。
── ウェディングドレスを縫うことは、お母さまに伝えていたのですか?
新田さん:縫い始めたのは、亡くなる6か月くらい前。死を目前にした母に「死装束を縫っている」とは、さすがに言えなかったですね。私自身も、「このドレスを縫い終えたら、母が死んでしまうんじゃないか」という感覚があって、怖くなってしまい、なかなか縫い進めることができなかったんです。結局、亡くなってからミシンで仕上げ、母は私が縫ったウェディングドレスを着て旅立ちました。ドレスのことは最後まで伝えられなかったので、母自身は、自分の死に装束を見ていません。死ぬ前に「本当にウエディングドレスでいいの?」と確認をしたわけではないので、もしかしたら、気が変わっていたかもしれないですけど…。
── わが子の手厚い介護を受け、心を込めて縫ってもらった衣装を身につけて旅立った。素晴らしい見送り方だと思います。お母さまもさぞかし幸せだったのではないでしょうか。
新田さん:ただ、もっと元気なうちから、ウェディングドレスを仕上げて「ママ、最期はこれを着ようね」と見せたかったですね。きっと母のことだから「わあ、素敵!えりちゃんは器用だね。上手にできたね。お母さん、これを最期に着るのね」と、喜んでくれたと思うんです。それが唯一、後悔していることですね。