亡くなる2週間前から葬儀の予約を入れた理由

台湾にて

── 最期は、お母さまと過ごせたのでしょうか。

 

新田さん:当時はコロナ禍で仕事がほとんどなかったのですが、その日はレギュラーのラジオ番組の収録日でした。朝、母の様子がいつもと違っていて、ぜーぜーと口で呼吸をしていたんです。おかしいなと思いながらも、出かけようとしていたところを夫に引き止められました。あのとき、そのまま仕事に行っていたら、母の死に目には会えなかったでしょうね。夫には、本当に感謝しています。

 

母は苦しむことなく、眠るように息を引き取りました。92歳でした。亡くなった瞬間、もちろんすごく悲しかったのですが、同時に、自分でも想像もしなかった不思議な感情がわきあがってきたんです。

 

── どんな感情だったのでしょうか。

 

新田さん:まるでフルマラソンを走りきったかのような充実感と幸福感で、胸がいっぱいになったんです。自分でも驚きました。きっと、母の介護を「やりきった!」という気持ちがあったのでしょうね。母と私と兄、そして母の介護を支えてくださった皆さんと一緒に、ゴールテープをきったようなすがすがしい感覚でした。幸せな最期を迎えることができ、悔いのない介護ができたと思っています。母には、「最後まで頑張ってくれて、本当にありがとうね」と言いたいです。

 

じつは、亡くなる2週間くらい前からお葬式の予約を入れていました。亡くなってから葬儀屋さんに連絡をすると、バタバタと準備に追われて、母のことを思って、ゆっくり悲しむ時間がとれないと考えたからです。できるだけ最後まで母と一緒にすごしたかったし、思いきり泣いて、お別れする時間が欲しかったんです。

 

── きちんと悲しむ時間は必要ですよね。

 

新田さん:前に進むためには、必要な時間だと思っています。ですから、母が長くはもたないとわかった時点で動きはじめたのですが、兄は最後まで反対していましたね。母が亡くなるという現実をなかなか受け入れられず、体が衰弱しているのに「いま葬儀の予約をする必要があるのか?」と納得いかない様子で。でも、絶対に後悔したくなかったので、兄をなんとか説得して、予約を入れました。

 

── お兄さまの「受け入れたくない」という気持ちもわかります。どうやって説得を?

 

新田さん:いきなり現実を突きつけるのもちょっと酷だなと思ったので、「お兄ちゃん、これからママが3年も、5年も生きると思う?」と聞いたんです。兄も「それは、無理だと思う」と言うので、「じゃあ、今予約しておいても同じことでしょ」と。それでも納得せず「逆に聞くけど、いま予約したら何かあるの?」と突っ込まれたので、苦肉の策で「あるよ!今なら早割が使える」と答えました(笑)。兄も心の奥では、もう長くはないとわかっているから「わかった。じゃあ、いいよ」と。

 

── 意外と合理的な解決法が(笑)。

 

新田さん:結果的にすごくよかったと思っています。母のそばに最後までいられて、感謝とお別れをいっぱい伝えることができました。

 

PROFILE 新田恵利さん

にった・えり。1968年生まれ。埼玉県出身。1985年、「おニャン子クラブ」の会員番号4番としてデビューし、人気者に。1986年、「冬のオペラグラス」でソロデビュー。著書に、『悔いなし介護』(主婦の友社)など。2023年、淑徳大学総合福祉学部の客員教授に就任。介護についての講演活動も精力的に行っている。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/新田恵利