ガールズバンドグループZONEのドラマーとして活躍したMIZUHOさん。夢を追いかけた幼少期のお話から「思春期ならではの葛藤があった」という脱退前の胸のうちを話してくれました。(全3回中の1回)

養成所から自宅までバスがない日は夜道を徒歩1時間

── 小さい頃から芸能界デビューを目指していたと伺いました。

 

MIZUHOさん:小学校2年生の頃、新聞の広告欄に芸能養成所の案内を見つけました。沖縄アクターズスクールの出身の方が活躍されていた時代で、私が住んでいた札幌にも出来たんだ!と。その広告を見て「やってみたい」と応募したのがきっかけです。安室奈美恵さんやSPEEDさんに憧れていて、部屋にはポスターを飾っていました。

 

MIZUHOさん
「このイメージあります!!」ドラムの演奏をする10代のMIZUHOさん

母がいろいろな習い事をさせてくれていて、ピアノや水泳もさせてもらっていたそうなんですが、ほかは何も続かなくて。唯一、10年以上続いたのが芸能養成所のレッスンで、小学2年生で応募して3年生から通い始めました。

 

── 養成所まで通うのは大変だったそうですね。

 

MIZUHOさん:学校が終わったらバスと地下鉄に乗って通っていました。夜の9〜10時頃まで練習をして、そこから家に帰るのですが、実家が田舎で、帰る頃にはバスが1時間に1本しかないんです。乗り遅れたら、1時間歩いて帰っていました。街灯も少ないので、暗い道を歩いていると蜘蛛の巣に引っかかるんです。それを払いながら歩いていました。あの時間帯に子どもがひとりで帰るなんて、今では考えられないことですね。

 

始めた頃は週に1回だったのですが、小学校5年生頃からレッスンの回数が増えていきました。続けていくうちにどんどんのめり込んで、真っ直ぐな気持ちで向かっていました。「有名になりたい」という強い気持ちがあったのでここまで頑張れたと思います。小学生の頃は友達ともほとんど遊んでいなかったですね。夢に向かって無我夢中でした。

 

── もともとZONEはダンスボーカルグループだったそうですね。

 

MIZUHOさん:ずっとバンドをしていたと思われているのですが、当初はSPEEDさんのようなダンスボーカルグループでした。グループでのデビューが決まって、デビュー曲どうしようかという流れの中で、「楽器を持ってみれば?」という、もうこのままのひと言で決まりました。

 

私たちとしてはデビューできることだけで嬉しいですし、「はい、わかりました!」と即答して。私は兄がドラムをしていたのでドラムをすることになったのですが、他のメンバーも父親がギターをやっているとかで、それぞれ綺麗に楽器わけができました。誰ひとり、これまでその楽器を弾いたことがなかったんですが、身近に聞ける人がいるというだけで決まったんです(笑)。

 

でも、やらないという選択肢はありませんでした。今思えばすごい話ですよね。時が経ってもこうやって取材してもらえていますし、あのとき頑張ってよかったと思います。

 

── ZONEの大ヒット曲、『secret base〜君がくれたもの〜』は、毎年この時期になると聞く機会が多く、長年愛されている曲ですね。当時はお忙しい日々だったと思います。

 

MIZUHOさん:金土日の週末にまとめて仕事をさせてもらっていました。よくここまで上手くスケジュールを合わせてもらっていたなと思うんですけど、金曜の学校が終わってから飛行機に乗って東京に通っていました。『ミュージックステーション』に出演する日は早退していましたね。平日は授業をたまに休むことはありましたが、学校を優先してもらっていて。実は東京には一度も住んだことはなくて、デビュー後5年間、この生活を続けていました。

 

── 平日は学校、週末は仕事で休む暇がないですね。

 

MIZUHOさん:お休みの日はたしかに少なかったと思いますが、つらくて休みたいとは思いませんでした。忙しくしていましたが、好きなことをさせてもらって楽しかったという思い出ですね。

 

── 学校ではどんなふうに過ごしていましたか。

 

MIZUHOさん:小学校のときに、ダンス演劇部というものを立ち上げて部長をしていました。よさこいに私が振りつけしたものを授業でやるとか、学校でもすごく活発な子だったと思います。