救急車のサイレンが聞こえた
── 出産翌日はいかがでしたか?
長谷部さん:先生からお呼びがあって…娘の顔つきを見て「ダウン症の疑いがあります。チアノーゼ(血液中の酸素が不足し、皮膚が青紫に変化した状態)があるし、血圧低下やその他の状態も不安定なので、このあと近くの国立病院からお迎えがきます。急を要するのでもう呼んでます!」と言われたと思ったら、すぐに救急車のサイレンが聞こえてきて、近くの国立病院の先生たちが救急車から降りてきて娘を迎えにきたんです。「え?なにごと…!?」って感じで、ものすごい速さで娘が病院の保育器から救急車の保育器に乗せ替えられていって。娘のそばに行きたくてもお尻も痛いし、ヨロヨロ歩きながら娘が運ばれていく姿を、ただただ呆然と見ていました。
── そこから実際にダウン症と診断がつくまで1か月くらいかかったそうですね。
長谷部さん:ただ、先生から「顔貌からダウン症の疑いがある」と出産翌日に言われたので、十中八九はそうだろうなと理解はしていました。もちろん理解はしても、心は追いついてないですよ。でも、先生もあまりにも可能性が曖昧なことを言わないじゃないですか。娘が運ばれて診断結果を聞きにいくまでの間、私は出産の喜びどころか気持ちが不安定になり、家族にもだいぶ心配をかけたと思います。里帰り出産をしたため、親戚も「おめでとう!」と言いにきたはずが、とても声をかけられる状態ではなかったと後から言われました。
その間、夫はダウン症に関する本を買いまくって本を読み、自分でも調べ、ダウン症とはこういうものだといちおう理解したうえでふたりで診断結果を聞きに行きました。そこから人生が一転していきました。
娘が生まれたのが2008年8月。テレビをつけたら北京オリンピックが開幕して、開会式の様子を映していたんです。華やかで活気あふれる中継を見ながら、自分とはあまりに遠い世界の話を見ているような、どこかドラマを見ているような気持ちで映像を眺めていたことを覚えています。
PROFILE 長谷部真奈見さん
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、 JPモルガン証券に入社。投資銀行部門にて、M&A(企業の合併・買収)のアドバイザリー業務に携わる。ニューヨーク本社にて勤務中、2001年「9.11世界同時多発テロ事件」に遭遇したことを機にテレビ局へ転職。報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動中。2008年8月に第一子を出産して1児の母。
取材・文/松永怜 写真提供/長谷部真奈見