2008年8月に誕生した娘さんがダウン症と診断されたフリーアナウンサー長谷部真奈見さん。お受験などを思い描いた妊娠中から、産後翌日に人生が一転して── 。(全5回中の1回)

諦めていたときに妊娠がわかって

娘さんとランニング中

── 27歳で結婚、出産を考えて念の為、婦人科を受診すると卵巣不全(卵巣機能が低下し、医学的には子どもを授かり難い状態)と診断されたそうですね。

 

長谷部さん:結婚したら、次は出産と当たり前のように考えていたので、とにかくショックでした。そこから不妊治療で有名な病院やクリニックの門を叩きながら、2年くらい不妊治療をしていましたが、なかなか子どもに恵まれませんでした。でも、不思議なことに不妊治療を辞めた後に、娘を授かったんです。我慢していたお酒を飲んで、旅行にも行って、ストレスフルな状態からリラックスできたのがよかったのかもしれません。

 

── 妊娠がわかってどんな気持ちでしたか?

 

長谷部さん:すごく嬉しかったです!子どもはもう諦めかけていたので、奇跡だな!って。今までお仕事も一生懸命やってきましたが、これからは母親として新たな人生が始まるんだと思ったら、すごくワクワクしたのは覚えています。

 

妊婦さんにお薦めの本や雑誌を読みあさり、子どもが産まれた後に始める英語セットや育児用の教材もたくさん資料を請求しましたし、(お受験対策の)幼児教室も見学しました。某名門幼稚舎の前を通るたびに、「あなたもここの学校に通いましょうね〜」とお腹をさすりながら、これから生まれてくる子どもに言葉をかけていましたね。

 

── その後、2008年8月娘さんを出産。翌日にダウン症の疑いがあると医師から告げられたそうですが、まず出産当日の状況について教えてください。

 

長谷部さん:私は本当に能天気な性格、自分の子どもに障がいがあるなんて夢にも思っていなかったんです。3160グラムで生まれて保育器に入ったと聞き、一瞬「あれ?」とは思いましたが、別にたいしたことではないだろうと思っていました。生まれてすぐ娘を抱かせてもらったとき、娘の顔が真っ赤というか、真っ赤を通り越して紫色だったんです。でも、初めての出産だったので生まれたての赤ちゃんはこんなもんかなと思うくらいでした。あと、あんまり泣かないな。こんなに大人しいものなのか?とも思いましたが、もしかしたら「オギャア、オギャア」って泣くのもこちらの勝手なイメージなだけで、実際は生まれてもそんなに泣かなかったりするのだろうなとか。

 

たぶん、今思えばどこか違和感はあったんでしょうけど、もともと前向きな性格もあってか、自分でいい風にとらえていたんだと思います。