現在は経営者として活躍する元歌舞伎町No.1キャバ嬢の愛沢えみりさん。洋服を作るためいきなり中国に渡った行動力が現在のビジネスに活きていることを伺いました。(全4回中の2回)
起業の理由は「今がピークだと思って」
── キャバ嬢を続けながら起業されましたが、最初のきっかけは何でしたか。
愛沢さん:もともと自分から何かをするタイプではなく、会社を経営するとか、社長になるなんてこれまでの人生で考えもしていなかったことでした。雑誌『小悪魔ageha』に出させていただいてからドレスのモデルをする機会が増えて、ドレス会社の社長から、一緒にドレスを作って販売しないかと声をかけていただきました。
普段、仕事で毎日着ているドレスを自分で作るのはおもしろそうと思って、一緒に始めました。最初の会社は共同経営で始めたものだったのですが、意見の食い違いなどから1年で終わってしまって。
ただ、この1年には貴重な学びもありました。この先の人生を考えたときに、キャバ嬢はずっとできるものではないし、今がピークだとも感じていたので、何か新しいことをする必要があると思い始めていました。ドレスは着る人やシチュエーションも限られますが、アパレルだったらデイリーに着られて、販売できる幅が広がると思い、そこから洋服作りを始めました。
── まずどんな行動から始めたんですか。
愛沢さん:まったく何もわからない状態で、とりあえず洋服を作るならば中国の工場だと思い、現金を持って広州に行きました。Facebookで通訳の方を探して、現地集合で各地の工場をたくさん回るんです。通訳の方も学生の子だったので、中国語は話せるんですけどアパレルのことは詳しくなくて。最初の頃は、たださまよっていただけでした。それでも月に3〜4回は、広州の工場地帯に通っていました。
── まさに体当たりですね。
愛沢さん:1回の滞在で4日間ほど泊まる日程なのですが、まず工場でこういうものを作りたいと話して、そこから一緒に生地市場に行きます。東京ドーム何個分もありそうな、ものすごく広い場所なのですが、そこでとにかく自分で歩いて生地を探しまくるんです。生地が決まったら工場に戻って、サンプルを作ってもらいます。次の日にはできているので、すぐに自分で試着して、お直しを数回加えて、大丈夫であれば日本に帰る、というのを繰り返していました。
当時は、OEM(メーカーが企業の依頼を受けて製品を製造すること)の存在を知らなかったんです。日本にいても、中国の工場とやりとりしてくれて洋服ができる仕組みなのですが、私の場合は、とにかくすべて自分で、いちから始めました。このおかげで、中国のものづくりをこの目で見ることができましたし、ゼロからものを作る過程についても知ることができました。
洋服につけるボタンを作る工場を見た時に、「この世の中に作れないものはない」というのを肌で感じました。ボタンひとつとっても、できているものの中から選ぶのではなく、いちから作ることができる。
できないことはないと知れたことは大きかったです。その1〜2年後に、OEMを使い始めるのですが、「これはないよ」とか「こんな生地はない」と言われても、この目で見てきた経験があるので、「絶対あるし、絶対できる」ということも言いきれました。ものづくりに関しては、「できないのではなくやる気がない」という考えにそこからなっていきました。
── 海外で仕事を依頼する際に、トラブルなどはありませんでしたか。
愛沢さん:文化や価値観の違いを痛感しました。こちらは日本基準のクオリティを求めていても、仕上がりを見ると不良品ばかり。日本にいると当たり前にいいものを作ってくれて、できなかった場合にはお金が戻ってくることもありますが、当時の中国でそれは通用しませんでした。不完全なものにお金を取られた経験も何度もあります。これまで経営にについて勉強をしたことはなかったのですが、人を見抜く力や、リスクヘッジの面で学ぶところが多くありました。