「まだ生理があるうちは…」と葛藤しながらも、3年間と決めた不妊治療にピリオドをうった益子直美さん。「2人で楽しく生きていく」。東京も離れ、ひと目ぼれした古民家へ引越し。湘南に流れる風と草木、そして夫の寄り添いで新しい人生をスタートさせました。(全5回中の4回)

「採卵した卵は3つだけ…」顕微授精を始めたけれど

── 40歳の時に、12歳年下のプロ自転車ロードレーサー山本雅道さんと結婚し、42歳で不妊治療をスタートされました。

 

益子さん:スポーツをやっていたので、体力には自信があり、40代でもふつうに生活していれば子どもは授かるだろうと思っていたんです。いま思えば無知でした。

 

なかなか妊娠できず、不妊治療を始めようと病院で検査をしたところ、子宮にポリープが見つかったのが42歳。ポリープを切除し、治療を開始しました。

 

体外受精のひとつである顕微授精を始めたものの、排卵誘発剤を打っても、卵が最高で3つしか採れなくて。結局、3つのうちの2つはカラで、残りの1つも着床できず、それを2回くらい繰り返したけれど、ダメでした。

 

── 不妊治療では夫婦間で温度差が生じて、溝ができてしまうケースも少なくありません。妊活中に気持ちがすれ違うことはありませんでしたか?

 

益子さん:それがまったくなかったんです。不妊治療中、ありがたかったのは、夫がとにかく私の心と体を気づかってくれ、温かい言葉をかけ続けてくれたことでした。

 

「つらかったらいつでもやめていいからね」と言って、時間が許すときは必ず病院に付き添ってくれました。不妊治療で夫への信頼はゆるぎないものになりましたね。

 

ただ、なかなか妊娠できずに気持ちが追い詰められ、苦しい時期が続きました。不妊治療をしていることは、互いの親にも友人にも話していませんでした。

 

当時はまだ、不妊治療について公言しづらい雰囲気がありましたし、当事者としての苦しみは誰にもわからないだろうから、それなら人に言わないほうがいいと思ったんです。

 

相談できる人もいなかったので、Twitterで違う別名のアカウントを作って、不妊治療をしている人たちとつながってみたりと、殻に閉じこもりがちでしたね。

 

── 3年間の不妊治療を経て、45歳で卒業されました。不妊治療では、「やめどき」に悩む女性が多いです。すんなりと踏んぎりをつけることができたのでしょうか?

 

益子さん:もともと45歳の誕生日で不妊治療を卒業しようと、夫婦でタイムリミットを決めていたんです。体温計やグラフ、ホルモン療法の薬などをすべて処分し、「この先の人生は、2人で楽しく生きていこうね」と、不妊治療を卒業しました。

 

とはいえ、「まだ生理があるうちは…」と、なかなか諦めきれない自分もいて。「夫に隠れてこっそり病院に行っちゃおうかな」と思ったり。気持ちを切り替えられたのは、いま住んでいる湘南の家と運命的な出会いをしたのがきっかけでした。

引っ越しで「悶々とした気持ちをリセットできた」

── どういう出会いだったのでしょう?

 

益子さん:湘南で不動産業を営んでいる友人夫婦のところに遊びに来たとき、「せっかくだから物件でも見ていく?」と軽い感じで誘われて。そこで見学した家にひと目ぼれし、「ああ、ここに住みたい!」と直感的に思ったんです。

 

── そうなのですね。どのあたりが気に入ったのですか?

 

益子さん:築年数が約20年の古い家でしたが、お庭が広くて、桜や柿、みかんに梅、プラムなど、いろんな木や植物が生えていて、「ここで過ごす時間は素敵だろうな」と心が癒されました。

 

自宅のお庭は色とりどりの花がたくさん!

それに、このまま東京にいたら、また病院に行きたくなって、悶々としてしまいそうだったんです。これまでの暮らしをリセットし、新たなスタートをきりたいという思いもありました。

 

夫に「この家、買ってもいいかな?」と了解をとり、ほぼ即決で購入。その後すぐ、湘南に引っ越しました。いまでは、地元にお友だちもたくさんできました。庭いじりを楽しんだり、家のDIYをしたり、夫婦で自転車に乗ったりと、湘南の暮らしを満喫しています。

 

いろいろなことがありましたが、結局、自分にとって本当に大切なものだけが残ったという気がしています。あの時、思いきって環境を変える決断をしてよかったなと思っています。

 

── とても仲のいいお二人ですが、夫婦円満の秘訣はなんでしょう?

 

益子さん:夫婦はもともと他人同士ですから100%分かり合うのは不可能だと思っていますし、歳がひと回り離れているので、ジェネレーションギャップを感じることも。

 

ただ、だからこそ、わかりあうために、たくさん会話をしてコミュニケーションをとることが大事かなと。

 

以前は、食事中にテレビをつけていましたが、番組に夢中になって会話が減ってしまったので、いまではテレビのないキッチンでご飯を食べるようになりました。結果的に、会話がすごく増えて、食後は夫が食器を洗うという流れもでき、いいことずくめでした。

 

夫は、私にないものをすごく持っていて、学ばされることがたくさんあります。

高いコートを購入「いいね!経済動かしてる」と言ってくれる夫

── たとえば、どんなところでしょう?

 

益子さん:彼はつねに命が危ぶまれる競技をやってきたせいか、いつも平常心で、物事に一喜一憂したり、浮き足だったりということがないんです。

 

適当に受け流す概念もなくて、とにかく真面目。テレビを観ていて「ここに行ってみたいな〜」とか「美味しそう!これ食べたい」と言うと、「わかった。調べておくよ。いつ行く?」と返事が返ってきます。社交辞令がないんですよね(笑)。

 

益子さんご夫婦の穏やかな様子が伝わってくる

── 真っすぐな方なのですね。

 

益子さん:適当なことが言えないので、言葉を発する前には、ちょっと考えてから話すようになりました。

 

彼はなにか質問をすると、ゆっくり考えてから答えるタイプですが、私は会話が途切れると心配になって、どんどん話してしまう。バレーをやっていたので、瞬発系なんです(笑)。

 

でも、振り返ると、そのせいで余計なことを言って失敗したことも多々あったので、彼の思慮深さを見習わなくてはと、反省する機会になりましたね。

 

夫は考え方がすごく前向きなので、一緒にいると元気になります。値段が高くてためらっていたコートを思いきって買ったときも、「いいね!経済を動かすって素晴らしいことだよ。直美が日本を支えているね!」と褒めてくれて(笑)。

 

でも、そのひと言で「高いものを買ってしまった…」という、ほんの少しの罪悪感が消えてなくなりました。いまの暮らしを楽しむことができているのも、彼の存在がすごく大きいです。

 

── 50歳のときには、心臓の病気で手術も経験されています。不妊治療や自身の病気で、命と直面したことで、益子さんの価値観に変化はありましたか?

 

益子さん:本当に後悔しないように生きようという気持ちが強くなりましたね。

 

夫といつも話しているのは、「何かを選択するときは、それは幸せなのかを基準に決めよう」ということ。仕事を選択するときも、それに幸せを感じるか。あるいは、自分の人生の中でやらなければいけないことか、を自分に問いかけながら決めるようにしています。

 

いま務めているスポーツ少年団の本部長の仕事も、「ちょっと負担が大きいかもしれないけど、自分のライフワークとしてやりたい」という心の声に従い、引き受けました。

 

夫と過ごす時間も、私の人生にとってすごく大事。ですから、あまり仕事を詰め込みすぎず、プライベートの時間も確保しながら、人生を楽しみたいですね。

 

── 「自分にとって幸せか」という明確な軸があれば、人生に迷いがなくなりますね。

 

益子さん:これまで、自分を犠牲にしてしまうこともありましたが、もうそういう考え方は手放しました。いまは、自分と家族の幸せがメインです。

 

去年は庭に花を植えられず、薔薇もダメになり、オリーブも虫に食われてしまったんです。今年は大好きなガーデニングに取り組めるように、余裕をもって生活したいですね。

 

PROFILE 益子直美さん

ますこ・なおみ。1966年、東京都出身。中学入学と同時にバレーボールを始め、共栄学園高校3年の時にバレーボール日本代表に入り、その後、世界選手権などに出場。1992年に現役引退後、タレントやスポーツキャスター、指導者として活動。2015年から「監督が怒ってはいけない大会」を主催。2021年に日本バレーボール協会理事に就任。2023年、女性初のスポーツ少年団本部長に就任。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/株式会社サイン