俳優や歌手として活躍した希良梨さんは、二十歳頃から拠点を海外に移しました。芸能活動のきっかけや人気絶頂期に日本を離れた理由を、現在暮らすメキシコから伺いました。(全3回中の1回)

順風満帆ではなかった幼少期

── 小さい頃から芸能の仕事を始めたそうですが、きっかけはなんでしたか。

 

希良梨さん:小学4年生頃から芸能活動を始めたのですが、きっかけは5年前に亡くなった祖母の紹介でした。私は母子家庭で育ったので、母が働いていて、祖母に育てられました。祖母の知り合いを通じて事務所に入ったのですが、祖母も、将来を見据えて私に生きていくすべを与えたいという親心があったと思います。当時まだ小学生だったので、自分から芸能界に入りたいという意思はありませんでした。

 

希良梨さん
現在暮らすメキシコの「死者の日」にフェイスペイントをする希良梨さん

祖母が広げてくれた世界だったけれど、家族のためになったらいいなという気持ちはありました。母が仕事をして苦労している姿はずっと見ていましたし、子どもながらにいつかお家を買ってあげたいとか、そういうことを切実に思って頑張っていましたね。

 

今はシングルマザーというものも昔よりは少しオープンになってきつつあるかもしれないのですが、当時は母子家庭が世の中からどういう風に映っているか肌で感じながら生きていました。人目が気になることもありましたし、正直、嫌でした。

 

── 学校生活はいかがでしたか。

 

希良梨さん:東京で生まれて沖縄で育ったのですが、小学生の頃に東京に戻ってきて、通っていた小学校ではいじめを受けていました。当時は希良梨という名前の子もいなかったですし、肌が焼けていて黒かったからか理由はわからないのですが、下駄箱の靴がなくなっていて帰れなかったり、カバンが捨てられていたり、仲間外れにされることも普通にありました。母がそれに気がついてその子を直接叱りに行ってくれたのも覚えています。

 

今でいう隠キャといいますか、大人しくて何をされても反抗しない子どもでした。今でこそこんな風にピンクの髪をしていますけど(笑)、私は見た目と中身が違うみたいで。人がイメージするよりもチャキチャキしていないんです。どちらかというとマイペースでおっとり。

 

当時は、生きていくうえで仕事が逃げ場でした。社会の中で居場所がないと感じていたので、芸能界に入ったことで救われました。仕事で成功する、しないというよりも、生きていける場所ができたという感覚でした。順風満帆な幼少期ではなかったので、芸能界に逃げられたという気持ちがありましたね。個人事務所に入ってレッスンを受けていくのですが、周りは大人だらけで特殊な環境だったと思います。小さい頃から大人の世界に足を踏み入れてしまったので、同世代の子と学校生活を楽しんだ思い出はなく、大人に囲まれて育ちました。

芸能界で見つけた居場所

── どんなお仕事からスタートしたんですか。

 

希良梨さん:当時は「神咲りさ」という芸名でバラエティ番組やドラマに出させてもらっていました。初めて演技をさせてもらったのは、小学生の頃に出演した「二人の母」というドラマで、育ての母と生みの母がいる娘の役を演じました。

 

母親役は池上季実子さんと倍賞美津子さんで、父親役が山下真司さんでした。一流の方に囲まれて仕事をしていたのに、当時はそんなこともわかりませんでした。のちに倍賞美智子さんとは、ドラマ「ギフト」でまたご一緒させていただくのですが、そのときに小役時代のことを思い出すとおそれ多い気持ちになりました。

 

希良梨さん
広告のイメージキャラクターの仕事も多かったそう

子役の頃は、泣く場面が多くありました。泣く時は悲しいことを思い出すとか、演技のことはいちから監督に教わってひとつずつ覚えていきました。泣けない時は怒られて涙を流す時もありましたね。母が亡くなったときのことを思い浮かべたら号泣できたことは今でも覚えています。

 

撮影を地方でしていたときに高熱が出てしまったことがありました。夜中に嘔吐もして酷かったんですが、マネージャーさんがつきっきりで看病してくれました。体調も悪かったのですが、翌朝はちゃんと仕事をしていたんです。今思えば、子どもだけれど大人と同じように責任を持って取り組んでいたんだと思います。

 

芸能界で居場所を見つけられたと思っていましたし、子どもなりに必死にやっていたと思います。それに当時の芸能界は、「親の死に目に会えない」というような厳しい考えがありましたし、私もそういう気持ちで挑んでいました。慣れないこともそう見せないで、「自分はできる」と常に思って表現しなきゃいけないと思っていました。

 

── 子役からスタートし、ドラマ「GTO」への出演で一躍知名度を上げました。

 

希良梨さん:当時17歳だったのですが、「水樹ナナコ」という役に出会えたのは私の人生で大きな出来事でした。ナナコと呼んでいただけることも多かったですし、そのイメージで私を見ていただいていることが多かったです。

 

希良梨さん
ショートヘアで爽やかに演じたドラマ「GTO」出演時の希良梨さん

家庭では問題を抱えている生徒なのですが、そこに向き合って鬼っちに最初に心を開くナナコを、等身大の自分で演じていたと思います。私服のシーンもあったのですが、あれも本当に自分の私服でした。あとから作品を見返しても「私ってこんな感じだったんだ」と不思議な感じがします。人見知りだったのですが、それを山崎裕太さんがうまくなごませてくれて。みんなが仲よしで大好きな現場でした。同窓会をしてみんなに再会したこともあります。

 

「GTO」は年明けにスペシャルドラマで復活するそうなのですが、私にもいろいろな方から連絡が来ました。心から「おめでとうございます!(拍手)」と思いますね。こうして26年経っても長く皆さんに愛された作品だということも嬉しいですし、それに携われたことも光栄でした。

 

当時は仕事にどっぷりで忙しくしていてプライベートとの境目がないような生活でしたが、皆さんに少しは知ってもらえる機会をいただけたのはありがたかったですね。

 

PROFILE 希良梨さん

1980年東京都生まれ沖縄育ち。子役として芸能活動をスタートさせ、ドラマや映画、バラエティ番組に出演。Kirariとしてアーティスト活動も行う。二十歳頃から拠点を海外に移し、台湾のエンターテイメントの世界でも活躍。独自の感性で今年のはじめよりメキシコにて生活を送る。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/希良梨