2019年に白血病を発症し、闘病生活を送った水泳の池江璃花子選手。苦しい治療に耐え、驚異の早さで復活を遂げた強さの秘訣を母の美由紀さんに伺いました。(全3回中の2回)

這い上がる強さは「家庭での練習が必要」

── 小さいころの璃花子さんはどんなお子さんでしたか。

 

池江さん:7つ上に姉と、3つ上に兄がいるのですが、璃花子は生まれながらに上のきょうだいのほうが何でも自分よりできるという環境でした。璃花子は頑張っても頑張ってもスポットライトを当ててもらえないので、何事にも一生懸命努力していました。

 

池江璃花子さんと母の美由紀さん
あどけなくて可愛い幼少期の璃花子さんと母の美由紀さんがプールを楽しむ様子

何でも上の子がしていることを真似して、自分もリーダーになりたいという気持ちは小さいころからあったと思います。学校でもリーダーシップを取りたがりました。学芸会でもやりたい役があればオーディションを受けて勝ち取ってきていました。

 

── 子育てで大切にしてきたモットーはなんですか。

 

池江さん:親子関係の主導権は親が持つということを心がけてきました。今は少子化で、豊かな時代でもあるので、特に小さいうちは子どもの願いを叶えてあげられる家庭が多いと思います。子どもを大切に育てるのはもちろんなのですが、甘やかしすぎず、しつけに関しては親が主導権を持ってしっかり教えていくことが大切だと思います。

 

親の保護のなかで生きていける小さいうちはいいのですが、外に出て自分の力で生きていく段階では、親からされていたことを周りの方にしてもらうのは難しいですよね。ですから、子どものうちから自分の生きていく道を自分で切り開いて、落ちたら自分で這い上がっていく強さを、家庭のなかで練習して身につけていく必要があると思っています。

 

── 具体的にはどんなことをさせていたんでしょう。

 

池江さん:生活面のことはすべて自分でできるよう、子どもに責任を持たせていました。例えばスイミングクラブに行く用意、それから帰ってきてから水着やバスタオルの片づけも全部自分たちでさせます。

 

璃花子はランドセルを3回、小学校に持っていくのを忘れてしまったことがあったんです。

 

学校から電話がかかってきても持っていかず、「しっかり恥をかかせてください」と先生にお願いをしました。子どもが失敗したり、困ったりしたネガティブな経験を親が解決してあげるのではなく、どうやったら自分で解決できるか、どうやったら同じミスをしないかを経験させるのが大事だと思っていました。

 

池江璃花子さん
泳ぐことが何より好きだったという小さい頃の璃花子さん。水中でも余裕のスマイル!

── 子どもより先に、親が手を出してしまいがちですね。

 

池江さん:私も本当は手をかけたいのは同じ気持ちなんです。同じように愛情は持っていますが、でも今、子どもが笑顔でいることよりも、将来、周りの人たちに囲まれて笑顔でいることのほうが大切だと考えていました。

 

── 子どもたちから反発はありませんでしたか。

 

池江さん:ありました。そんなときは子どもの気持ちに寄り添いますが、だんだん子どもも、これが自分のためになるということを次第にわかっていくんです。

 

まもなく璃花子は日本代表として世界水泳選手権に出場しますが、今のところ、まったく連絡してこないですね(笑)。どこにいるのか何をしているのか、体調がどうなのかもまったくわからないのですが、これも私が育てた結果であって、自分で解決して元気で頑張っている証拠だと思います。

 

── 連絡が来るのはどんなときですか。

 

池江さん:そうですね、「今、病院にいる」とかですね。それも璃花子は極力いろんなことを言わないタイプなので、余計に心配してしまい、ちょっと困ることもあります。

闘病生活中も「弱音は吐かず」

── 璃花子さんは2019年に白血病が発覚して治療に専念しました。

 

池江さん:本人も何が体調不良の原因かわからず病院に行ったのですが、私もそんな大それたことになっているとは思わず、仕事が終わって病院に駆けつけて一緒に検査結果を聞きました。

 

仕事先の幼児教室では、直接担当ではない生徒さんにも寄り添っていくのが責任者の役目と思っていますが、璃花子の闘病中は自分の担当の方以外のところはそれぞれ先生にお任せして、病室にいました。コロナ禍前だったので今より面会の制限も厳しくなく、午前中は仕事に行って、午後からは病室にいるようにしていました。

 

池江璃花子さんと母の美由紀さん
豪華な手作りディナーで璃花子さんの誕生日をお祝い。とっても嬉しそう!

── 入院中に、璃花子さんから弱音を聞くことはありましたか。

 

池江さん:璃花子はただ、黙って治療に耐えていました。ギリギリまで耐えてナースコールをして。私はすぐそばにいたのに、そこまでツラい状況なんだとわからないこともあって。

 

意識がないときは私が先生や看護師さんを呼んでいましたが、璃花子は意識があるときも決して弱音を口にしませんでした。

 

退院してすぐ璃花子が松岡修造さんと対談させていただいたのですが、そこで本人は家族にも弱音は吐けなかったと言っていました。水泳を始めてからトップで記録をつくり続けていたので、つねに強い自分でいたいと思っていた、と。

 

── 病室ではどう過ごしていたんですか。

 

池江さん:復帰した後の話はしませんでした。とにかく病気を治すことが第一で、大きな闘いでした。治療にも順番があったので、これが終わったらこれ、という乗り越えるものがわかりやすく伝えられていたので、それをひとつずつ乗り越えていきました。

 

── 励ましの手紙なども多く届いていたそうですね。

 

池江さん:全部目を通していましたし、可能な限り私はお返事の手紙も書いていました。水泳の関係者の方、同じ病気をされた方やそのご家族、ご年配の方などからのものが多かったです。璃花子は読むことはできても、返事を書けるような体調のときは少なかったです。

 

── およそ1年半の闘病生活を経て復帰され、脅威のスピードと言われました。なぜこんなにも早く回復できたと思いますか。

 

池江さん:応援してくださる方がものすごくたくさんいたことだと思います。こんなに苦しい思いをしているけれど、こんなに応援してくださる方がいる。思いの力というのは目には見えませんが、ものすごいパワーになります。アスリートの親として応援の強さを感じていました。

 

PROFILE 池江美由紀さん

池江美由紀さん

EQWELチャイルドアカデミー本八幡教室代表・講師。3人(長女、長男、次女)の母。次女が小学校に上がるころに離婚し、ひとり親で3人を育てる。現在も講師としてクラスを受けもちながら子育て相談や指導を行うほか、経験に基づいた講演活動も行う。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。主な著書に『あきらめない「強い心」をもつために』(アスコム刊)

 

池江美由紀さんの著書

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/池江美由紀