「相方にコンプレックスを持っていた時期もあった」と語る、北陽の虻川美穂子さん。北陽を結成して28年、何度か訪れた解散の危機や、2人の関係性も変化したといいます。(全5回中の1回)
工事現場でバイトする日々
── 高校の同級生だった伊藤さおりさんと北陽を結成されましたが、学生の頃から芸人を目指されていたのでしょうか?
虻川さん:特に考えてなかったんですよね。ただ、高校卒業後は大学には進学せず、何か面白いことをしたいねって伊藤ちゃんと話をしていて、一緒に劇団に入りました。でも、あまりに厳しくてついていけず。そんなとき、たまたま人力舎の養成所のチラシを見て、お笑いの世界に興味を持ちました。私が先に劇団を辞めて、伊藤ちゃんに声を掛けて、2人でコンビを組むことになりました。
── 下積み時代も長かったと聞いています。今まで解散の危機を感じたことはありましたか?
虻川さん:何度もありますよ。喧嘩もよくしたし。どちらかが「もうやめたい」と言い出せば、もうひとりが「もう少し頑張ろうよ」。またしばらくすると、またどちらかが「そろそろやめたい」「もうちょっと続けよう」。ずっとその繰り返しでした。ただ、24歳のときに一度だけ、2人同時に「休みたい」ってなったんです。
── そのときは、どうしてそう思ったのですか?
虻川さん:芸人を目指してからずっと頑張ってきたけど、なかなか結果が出なくて行き詰まったんです。周りの同級生たちは、大学に進学して、サークルや飲み会だって学生生活を謳歌しているなかで、私たちはお笑いの仕事では稼げず、バイトでどうにか生活費を稼ぐ日々。
私は工事現場で働いていましたが、想像通りハードな仕事でした。現場で要領が悪かったのか、10トントラックの運転手に「そこどけ!」と言われて、「すいません」って謝りながらウロウロしたり。
工事現場から帰宅すると、今度はネタ作りに取りかかります。疲労困憊した頭で必死に机に向かいましたが、思うような結果が出なかったんです。このままやっていても煮詰まるだけだし、半年休もうという話になりましたね。
── 休んでみていかがでしたか?
虻川さん:すごく息抜きできました。車の免許を取りに教習所に通ったり、合コンに行ったり。今までやってこなかったことができたし、意外と充実しちゃって。ただ、その生活を謳歌してしまって、結局休みを半年間延長して、トータルで1年間休みました。
── そのまま解散に、という話にはならなかったのでしょうか?
虻川さん:「北陽」は意外と粘着質っていうか。「きらびやかな青春時代をお笑いに捧げたから、元を取っていこう」が、伊藤ちゃんとの合言葉で、お笑いを辞める選択肢はなかったですね。
活動を再開した後は意識も変わりました。やるからにはテレビに出たい。もっと服装を派手にするとか、キャッチーな曲を作るとか、ネタはどうするか、などなど、改善に改善を重ねていく日々で。流れが大きく変わったのは、私たちが27歳のときに、『はねるのトびら』に出演が決まってからでしょうか。番組の人気もすさまじく、そこから一気にお仕事が増えていきましたね。