初めて訪れた場所で「何もないなあ」と思ったことはありませんか?反対に、自分の地元で都会出身の友人や恋人に「何もないね」と言われ、思わずイラっとしたことは?そんな「田舎には何もない」をめぐる漫画に1.1万いいねがつき、話題になっています。投稿したのは、雪国生まれのらっさむ(@LASTSAMURAI_11)さんです。

 

らっさむさんの投稿には1.1万ものいいねが。
らっさむさんの投稿には1.1万もの「いいね」が

雪国育ちが雪山の山頂で知った「まったく知らない世界」

田舎育ちのらっさむさんは、自分の地元に対して「何もない」と言う人に、「ここには山も川も高い空も、たくさんのものがあるのに!この人はきっと何げない日常のなかの幸せにも気づけないんだろうな」と憤っていました。

 

ところが、地元で「虫博士」と呼ばれる人と一緒に山に登った日のこと。らっさむさんが雪が積もった山頂で「さすがに虫もいませんね」と言うと、博士はやさしく「雪の上に目を凝らして見てみてください。小さな虫がピョンピョン跳ねていますよ」と教えてくれました。

 

らっさむさんは、虫博士の話を聞き、驚くとともに恥ずかしくなりました。田舎を「何もない」と言う人たちと同じように、自分もまた、「同じ景色を見ていても、見えていないものがある」ことに気づいたからです。

 

「わかった気になってるのって、一番かっこ悪いなあ…って痛感しました」

 

「あと…もう二度と雪は食べません……」

 

不思議そうにしている虫博士に、らっさむさんは素直に自分の気持ちを話すのでした。

あれ以来「何もない」と言われてもイラっとしない

らっさむさんはその後も、自分の地元について「何もないね」と人から言われたことがあったそうです。

 

「ただ、以前ほど強い反発心を抱くことはなくなりました。それは『何もない』と言われることが、自分の地元をジャッジされているのだという意識が薄れたからかもしれません。自分に見えている“解像度”に自信を持っていればいいんだ…と思えるようになったのもありそうです。

 

今は昔よりもずっと、娯楽の少ない地域の良さを見てくれる人が増えてきて、移住者が街を活性化してくれている側面もありますし、逆に、地元のよさを教えてもらっている面もあるように思います」

 

それぞれ見えているものや見え方がちがうことを理解し、他人の感想も自分の感覚もフラットに捉えられるようになったらっさむさんには、他にも変わったことが。

 

「それまでは、『あーそっかそっか、なるほどね』『たしかに』みたいな相槌を打つことが多かったんですが、そんな相槌が恥ずかしくなりました。人が話したことの上部だけ汲み取り、勝手に自分の記憶と結びつけて理解した気になるのではなく、その言葉の真意を、ちゃんと汲み取ろうと気をつけるようになった気がします」

地元の人が言う「何もない」は「いや~うちの子なんて」の感覚?

らっさむさんの投稿には「田舎には”何もない”があるんですよね」「視野を広くしていきたい」など、さまざまな視点からのコメントが多く寄せられました。

 

「いただいたコメントのなかで特に印象に残っているのは、『むしろ地元の人のほうが“何もない”と言ってくることが多い』といったものでした。あー、それもあるあるだなあ、とは思いつつ、私の周りの地元の人たちのなかには、わざと雑に言っている人もいそう、と思います。非言語的には、その土地の魅力を感じてるけど、言語化するとつまんなくなるから言わない…みたいな。

 

よく、わが子をほめられて『いや〜うちの子なんて』と言う人がいますが、その感じに似てるのかも。まあ、本当に心から地元に嫌気がさしている人もいるとは思いますが…。村社会ってその地域独特の文化が根づいていたりもするので」

 

その土地の魅力を言語化するのは意外と難しいもの。地元の人であればあるほど、深い魅力を知っているからこそ、言語化できずに「何もない」と言ってしまうこともあるかもしれませんね。

 

虫博士とのやりとりによって、「自分が見えているものがすべて」だと思いこんでいたことに気づいたらっさむさん。大人だって、気づくきっかけを見落とさず、素直に学べばいくらでも人間として成長することができる。シンプルなことですが、大人になればなるほど難しいもの。いつまでもそのきっかけを見逃さないようにしたいですね。


取材・文/吉井菜子