憧れの着物を着ての仕事についた赤見千尋さん
憧れの着物を着ての仕事にも

目指していた着物での仕事に

── 高崎競馬場で6年ほどのジョッキー生活でしたが、やりきった、燃え尽きた感覚だったのですか?

 

赤見さん:結局、91勝で終わったので、100勝に届かなかった悔しさはありました。

 

高崎競馬場がなくなるにあたり、他の競馬場に移籍することも考えましたが、なかなか難しいことなので、区切りをつけるために引退しました。

 

地方競馬教養センター時代から、がむしゃらに頑張ることができたのは自信になっているので、現在の仕事や育児にも活かされていると思います。

 

── 27歳で騎手を辞めてからは、どんなキャリアを積みましたか?

 

赤見さん:中学時代、舞妓さんを目指していたときから憧れていた着物での仕事をハローワークで希望したら、「浅草今半」を紹介されました。

 

着付けから教えてくれるとのことで、すぐに浅草に行って、着物で接客業をすることになりました。

 

最初は特に新鮮で、2年半くらい働かせてもらいましたが、やはり競馬に関わる仕事がしたくなり、今の事務所に履歴書を出して、リポーターや解説者をすることになりました。

 

ただそれだけで食べていけるほどではなかったので、ティッシュ配りやパチンコ店のコーヒーレディなどをしながら、競馬の仕事をしていました。