絵本の読み聞かせ活動もするかかずゆみさん
絵本の読み聞かせ活動もするかかずさん

次男(14)が産まれた直後に、夫に旅立たれてしまったかかずゆみさん。幼子たちを抱えながら悲嘆に暮れましたが、それを癒やしてくれたのは国民的作品の仕事でした。この時の経験が、生涯の仕事を見つけるきっかけとなったことを涙ながらに語ってくれました。(全4回中の4回)

次男が産まれた直後に…

── 声優と家庭生活、育児の両立はどうしていましたか?

 

かかずさん:子どもは自然のなかで育てたいと思っていたので、結婚後は埼玉で暮らし始めましたが、すぐに長寿番組の収録が決まり、都内に通う回数が増えました。

 

夫も都内で仕事をしていたので、子育てと通勤を含む仕事との両立が難しくなり、結局、東京に住むことにしました。

 

結婚して5年、次男が産まれた直後に夫が急逝…。

 

私ひとりで、子どもたちを育てあげなくてはいけない想定外の未来がやってきてしまいました。

 

収入のために働かなくてはなりませんでしたが、所属事務所と相談し、夜や土日は子どもたちと過ごせるように仕事時間を調整していただきました。

 

── ご主人の死を公にするのに、4年くらいかかったんですよね?

 

かかずさん:状況を受け止められないまま、日々が過ぎていたんだと思います。

悲しむ暇がないほど忙しい

── ご主人を失った傷をどう癒し、克服したのですか?

 

かかずさん:自分だけドン底にいて、まわりは皆、楽しそうに見えました。映画をみても音楽を聞いても、何をしても悲しみが込み上げてきました。

 

日々が過ぎていくうちに、さまざまな事情でひとり親をしている方と出会い、つらいのは自分だけではないことがわかってきました。

 

その後、東日本大震災が起こり、家や大切な人を失った方々を目の当たりにすることが多く、くよくよしていられないなと思うようになりました。

 

子どもたちがまだ小さかったからこそ、乗り越えられたのかもしれません。

 

子育てをしていると本当に自分の時間がなく、寝かしつけてからふと悲しみが襲ってくる日々。でも自分も疲れているので、そのまま寝てしまう…というような(笑)。

 

乗り越えたというよりも、この傷とともに生きていくんだという覚悟が、いつの間にか芽生えていた感じです。