ギャラは3倍、タクシーチケットも
── そんな吉永さんの“原点”はTBSの『ワンダフル』だと思いますが、当時はどう活動していましたか?
吉永さん:
ちょうど学生生活最後の1年のときで、何もかもが新鮮でしたね。
大学の単位はほとんど取得していたので東京に引っ越して、活動していました。
ギャラは3倍になりましたし、タクシーチケットもバンバン出て、華やかな時代でした。
浅草のサンバカーニバルに出場するチームの練習に1か月参加して、厳しい練習で足の爪がはがれたこともありましたね。
やはりバラエティ番組なので、番組内でもリポートでも面白いコメントをすることが求められるなど、勉強になりました。
レギュラーの仕事はとれずに…
──『ワンダフル』は1期生として1997年から98年まで務めましたが、その後の活動はどうでしたか?
吉永さん:
それからレギュラーの仕事はとれませんでしたね。ワンダフルは大阪では放送されなかったので、地元では反響がありませんしね(笑)。
そんなこんなで当時から交際していた夫と結婚して、しばらく大阪で暮らしていました。
結婚してから娘が生まれるまで2年半くらいありましたが、単発のレポーターや夫の会社の経理の仕事のほかに、ネイルサロンも開業しました。
── ネイルサロンは副業として始めたのですか?
吉永さん:
芸能の仕事を第一に、という思いは当時からありましたが、それだけではやっていけないので、もともと好きだったネイルの技術を磨き、プライベートサロンを開きました。
施術をするのに1~2時間お客さまと接しなくてはいけないので、ワンギャル時代に磨いたトーク力は役に立ちました。