会社の同僚に気づかれないように着替えを運んで…
── 豊崎さんは夫の闘病生活をどのようにサポートしていたのでしょうか?
豊崎さん:
結婚をする前に入院して抗がん剤と放射線治療が始まったのですが、当時は誰にも交際していることを明かしていなかったんです。他の同僚たちは堂々とお見舞いに行けるのですが、私ははち合わせできないし、そもそも仕事の都合で面会時間には間に合わず、お見舞いにはほとんど行けませんでした。
ただ、すでに一緒に暮らしていたので、「痛快!明石家電視台」の収録が終わると、夜の10時半ごろに帰宅して、そこから着替えを用意して病院まで届けていました。
看護師さんに「お願いします」と手渡して、洗濯物を受け取ってという毎日でしたね。今思うとよくやってましたよね(笑)。
抗がん剤の副作用はあったものの、がん自体で苦しいという段階ではなかったので、土日は一時帰宅することもありました。退院後は寛解するまで通院に付き添っていましたね。
── 闘病中のお相手はもちろんのこと、そこに寄り添う豊崎さん自身も苦しい思いもあったのではないでしょうか?
豊崎さん:
副作用に苦しむ姿は本当に可哀想でしたね。何を食べても吐いちゃって…。私自身は見ていて「苦しい」と思う心の余裕もなかったというのが正直なところかなと思います。本当は私が支えなきゃいけないのに、自分も自律神経失調症になってしまって申し訳ないという罪悪感みたいなものがありました。
実は夫のお父さんも別のがんで亡くなっているんです。夫はがんの人を支える経験もしているので「がんになってみて分かったけれど、本人よりも支えている人のほうが苦しいと思う」と言われたときには、なんて優しい人なんだろうと思いました。
── お相手のがんが判明したことを機に、医師の勧めで受精卵を凍結したそうですね。
豊崎さん:
一般的にがん治療って新しく生まれる細胞を殺すので、男性の場合はがん細胞だけでなく、髪の毛や精子にもダメージが及ぶことがあるそうなんです。担当のお医者さんから「今後は産めなくなる可能性が高い」と言われ、治療が始まる前に大急ぎで凍結できるところを探しました。迷う暇すらなかったですね。
ひとり目はたまたま自然妊娠で生まれましたが、ふたり目は凍結した受精卵を移して妊娠しています。