ブロードウェイで「視界が開けた」
── 現地ではどのような生活を送っていたのですか。
田村さん:
心身ともに病んでバレエの世界から離れたのですが、語学学校に通いながら、実際に足を運んだのは現地のダンススタジオばかりでした。ブロードウェイには誰でも自由に通えるスタジオがたくさんあるんです。
日本にいたときは「太っているから痩せなきゃ」と思っていたのに、向こうのダンススタジオではいろいろな体型の方がいて、年齢もさまざまで、ダンスが上手い方も下手な方も一緒に踊っていたんです。
その人たちは周りにどう思われようと関係なく、自分が好きだから踊る。そんな環境に身を置くと、徐々に心が救われていきました。
心が癒やされていくと吸収スピードも上がって。当時は若くて勢いもあったので現地でいろんなジャンルのダンスに挑戦しました。今に繋がるジャズダンスもそこで学んで、心身ともに満たされていきました。
── 好きだった踊りの世界に戻ってきたんですね。ニューヨークで出会ったミュージカルがその後の人生に影響を与えることになったと伺っています。
田村さん:
初めて見たブロードウェイミュージカルが「ライオンキング」で、本当に衝撃を受けました。鳥肌が立って、涙を流しながら見ました。「私、これに出るな」とそのとき思ったんです。
日本では劇団四季が公演していることを知って、目標が明確に定まりました。帰国後すぐに応募して、25歳で入団が決まりました。